佐藤志満作品(平成二十一年―平成十五年)





佐藤志満作品(平成二十一年―平成十五年の「歩道」誌上より)  

                           


  平成二十一年十二月号


思ふままやるべき事をせし思ひ残るは何ぞ終らんとする


一面に雑草生ふるわが庭をかく見てゐるも後幾ばくか


  平成二十一年十一月号


確実に迫れる命肯へどわれの場合の切実ならず


朝床に雨の降りゐる気配して幾時経しやとりとめもなく


  平成二十一年十月号


夜すがらに眠れぬままに朝となる眠らぬ躰いたく疲れて


わけもなく疎縁となれる兄弟を思ひつつゐしかく老い呆けて


  平成二十一年九月号


春寒く雨降る庭によどめるは夏柑の花とあら草の香


この家に常に貼りある孫の写真いづれもたのし見る度たのし


  平成二十一年八月号


五時すぎて雲走る空明るきにをりをり見ゆる白き三日月


すこやけき夫とありし日々思ふ思ひ出づれば夢の如しも


  平成二十一年七月号


呆けゐし父の晩年看取りしがそのよはひさへ既に過ぎをり


午後の日に照れる桜と柿若葉共にかがやくわが窓の外


  平成二十一年六月号


かすかにて咲く雪柳の白き花降りゐる雨の雫のごとし


近づきし死を思へれど格別に感慨もなし人も然らん


  平成二十一年五月号


命終らん日を待つ如し思ほえず長生きをして悲しかりけれ


春寒き雨ひすがらにふりをりて残り咲きゐる薔薇に音する


  平成二十一年四月号


朝床を起き出づる迄の数時間いよいようとしいよいよ儚な


百歳まで生くると仮定しあと五年短きがごと長きが如し


  平成二十一年三月号


病むといふ事なく過ぎし一年か九十五歳かく生きのびつ


亡き夫今さら思ふことありてわれの命も極まらんとす


  平成二十一年二月号


自らの意志にてやうやく歩む日々いつまであらんとみに老いたり


かつがつに生きてゐるのみ省みて楽も苦もなし幾年生きん


  平成二十一年一月号


咲かぬかと忘れゐたりし百日紅蕾見えをり立秋すぎて


長き酒つき合ひたりしこと思ふ今生きをらば如何にかあらん


  平成二十年十二月号


表札に今もかかれる夫の名声に読みつつ通る人あり


やうやくに夫の面影うすれしかさればと言ひて寂しともなし


  平成二十年十一月号


一応は平和なる世と言ひながら人殺さるる昨日も今日も


思ほえば九州あたりにしばしの間住みてゐたりしかすけき記憶


  平成二十年十月号


細き枝にまみるるごとき蘇芳の花雨のあとさき執拗に咲く


一度も欠くるなかりし六十年歩道思へば涙のごとし


  平成二十年九月号


青山より移り来りしいきさつを思ひ出だせぬ迄に古りたり


青山の墓地下に住みゐたりしかあてなく一日思ひてゐたり


  平成二十年八月号


臥所より見ゆる夏柑好ましくいかに採らんかひと月あまり


早くより目覚めて何をしたりしや手先冷たく朝床にをり


  平成二十年七月号


柿若葉風にさやげる午後のとき安らけき君の死を聞きゐたり


女子大にて共に学びしこと思ふその五十年君によりしか


  平成二十年六月号


かくのごと朦朧として生きをれば追はるるごとき思ひは何か


極端に淡くなりたる記憶あり逝きて二十年夫を思ふ


  平成二十年五月号


さまざまに夫しのべどつづまりは重き荷物をおろしし如し


九十歳過きたるわれの歌作る苦しきものかさいなむに似て


  平成二十年四月号


いかばかりその恩恵にあづかりしいよいよ思ふ斎藤先生


かつがつに歌持ち行けば「有難う有難う」と仰せ給ひき


  平成二十年三月号


ひとり寝てひとり飯食ふ寂しさよかくの如くに生き残りたり


かく老いて歌を作るもこれまでか先に逝きたる夫ともしも


  平成二十年二月


夫逝きし事さへおぼろになりたるや涙やうやく出づるともなく


由もなくただに怒りし夫の顔思ひ出づるにさへや恐ろし


  平成二十年一月号


広き家に一人住みつつ格別に寂しともなしやうやく慣れて


いくばくも無からん命思へれどやる事のなしわれのみなるか


  平成十九年十二月号


改めてわが齢思ふことのあり来る人のなきひと日は長く


窓おほふ芙蓉の花のくれなゐがつぼみ始めぬ午過ぐるころ


  平成十九年十一月号


今日ひと日人に会ふなく過ぎしかと夕ベ寂しく思ひゐたりし


かくのごと独り暮すも何時までか漸くにして夕ベとなりつ


  平成十九年十月号


うつさうと木々茂りたる庭の中つくづく見れば柚子実りをり


わが庭のおどろの中に伸びたちし枇杷の実るを待つごとくゐる


  平成十九年九月号


ただ生きてゐるのみの日々遠く住むわが子よいよようとくなりたり


何時のころ植ゑたりしとも知れぬ薔薇花咲かせをりその時々に


  平成十九年八月号


葬式の時はおめでたうと言ふならん更に年老いてわが亡くなれば


厨芥より芽吹きし南瓜いちめんに茂るに茂る実らばよからん


  平成十九年七月号


かく老いて心休らふいとまなし人向き向きに生くるといへど


土掘りて芽吹きたる菜を植ゑかふる匂ふことなし名さへ分らず


  平成十九年六月号


かく長く生き来しものか苗木にて植ゑし夏柑屋根越えて伸ぶ


置き場所を忘るるのみにあらずしてわが家にありしや否やさへ忘る


  平成十九年五月号


この家に住むべくなりて幾年か夫の亡きはいつよりならん


いまはの際見ることもなく逝きたりし夫を思ひわが世過ぎゆく


  平成十九年四月号


かくの如悲しき報らせ聞くものか老いわれ残し君は逝きたり


朝床に如何なる様に眠りゐし手足冷たくなりて目覚めつ


  平成十九年三月号


かく老いて歌を作るは難儀なり思ひ尽きたり力尺きたり


庭一面菜を植ゑをれどいくばくも育つことなし蜜柑の木下


蕾の先白くほぐるる花簪まれに暖かき大寒の日に


  平成十九年一月号


歌つくれぬと言ひたりしことわれさへや忘れてゐたり寂しかりけり


  平成十八年十二月号


かく生きて如何なる未来あらんかと思ふことさへおぼろとなりつ


一人住み一人飯食ふ寂しさよかくの如くにいつまで生きん


何をする気力もなくてわれ一人家居してをり一日は長く


もうろうと覚めゐる午前三時頃たつ幻をわれは惜しまん


よく見れば夏柑の実がなりてをり高きところは日に輝きて


  平成十八年十一月号


朝庭にあまた夏柑落ちてをり昨夜風の吹きしともなく


いつとなく疎遠となりしわが実家今住みてゐる人さへ知らず


蛙の声うとみて池を埋めたりし若き日住みし朝鮮思ふ


更地にて買ひしこの庭いい加減に植ゑたる木々のうつさうとなる


兄三人われより先に逝きしことも呆々として思ひゐたりき


  平成十八年十月号


ひたすらに神によりゐし御魂の安らかならんしみてぞ思ふ


夫なくひとり過ぎ来し二十年たちまちなりき過ぎて思へば


なつかしといふ事もなく思ひをり夫と共に過ぎし年月


死を前にこのこと頭を去らずをり思ひし末ははかなかりけり


長崎の御厨ぶだううましうまし来合はせし友と三人にて食ふ


  平成十八年九月号(バックナンバ―)


日々の食つくるさへ心もとなけれ九十三歳独り住みつつ


おほよそにおぼろとなりて思ひをり夫逝きしは幾年前ぞ


わが夫何時如何にして逝きしかと思ひゐたりき呆々として


十室位ある家の中一人住み一人飯食ふ味はふとなく


呆けたる頭にて歌は作られずこれにてをはり仕方なけんぞ


  平成十八年八月号(バックナンバ―)


テレビの音高くひびける家の中われは寝ねをり昼ひとりにて


漸くにわが呆けたるを思ひをり悲しけれども致し方なし


もうろうと過ぎゆく日々にわが思ふ夫のいまは間に合はざりし


  平成十八年七月号(バックナンバ―)


夫亡く二十年経てわれはありただ生きゐるといふ感じにて


長女として弟妹多く育ちしに便りさへなし如何にかをらん


朝飯を食へばそのまま横になる躰がたゆし悲しきまでに


殊更に病むとなけれどおほよそにひすがら床に就きゐるわれか


あと幾年かくの如くに生きゆくや楽しともなく思ひてゐたり


  平成十八年六月号


ことさらに健康のこと思はねどかく生きて知る父母の恩


いくばくもなけん命と思はねど神のしくみと感謝すべきか


老いたれば老いたる歌をつくらんかしか思ひつつ日々に衰ふ


死ぬるのが最も早き解決法如何に死ぬるかわれは思ふも


庭木々の落葉光れば隣家の壁近付きて見ゆ白々として


  平成十八年五月号


昨日より今日に続けるわが命おもひみる時りつ然とする


ひとり住む事に馴れつつわが夫何時逝きしかと思ひゐたりし


わが庭をおほひて茂る夏柑があまたなりをり楽しくてならず


夜更けてテレビは何を言ひゐるやただ喧しと思ひつつゐし


雨降りてゐる事さへや知らざりきひたすら部屋に籠りゐたれば


  平成十八年四月号


朝空に輝きを増す白き雲隣家の屋根を今し移ろふ


夫逝き忽ちすぎし二十年相半ばする苦楽を思ふ


兄弟の多かりしわれ母の苦を分かち負ひたる心地こそせし


学校に通へる道の遠かりきその凡そは公園の中


おほよそに過ぎつつあれどかにかくに新年迎ふ恭けれ


  平成十八年三月号


かく老いて歌を作りし人ありや寂しきことを思ひてゐたり


念々に思ひてゐたる事さへや茫々として晝床にをり


他に思ふことなき如く子を思ふ如何に生くるや如何に住めるや


いたづらに齢重ぬるのみのわれ極まりにけりかかる重圧


ただ生きてゐるといふのみの如きわれ涙の如き思ひのよぎる


  平成十八年二月号


病むといふ程にもなくて呆々と日々過ぎてゆく否応なしに


かくのごと老いつつ思ふ人間は幾つ頃まで歌作れるや


如何ばかりその恩恵に預かりしいよいよ思ふ年経る程に


かにかくに歌を作るも限界と思ひてゐたり九十三歳


庭いつぱい青菜を植ゑて一人住む夫逝きしは何年前か


  平成十八年一月号


植ゑてより二十年経し夏蜜柑始めて実る何思ひしや


梢までびつしり実る夏蜜柑今日気付きたり見つつたのしき


賑やかに灯ともす舟の寂しけれシンガポ―ルの桟橋暗く


この年にて一人暮らすは無理ならんしか思ひつつどうにもならず


人間は幾つまで歌作れるや九十三歳しみじみ思ふ


  平成十七年十二月号


便りしても便りの来ねばやうやくに心遠ぞくいつとしもなく


臥所より見えゐし空が見えぬ迄木々茂りたり何とかせねば


書き止めて置くことさへやまぎらはし九十三歳かく呆けつつ


省みることなき庭にあまた咲く芙蓉の花に雨降りそそぐ


この次は何を着んかと迷ひをり昨日着てゐし物さへ忘る


  平成十七年十一月号
取り立てて何をせしとは思はねどかくは疲るる生きゐるのみに


わが窓を開くれば門迄見えし庭青葉となりて全く見えず


未明より覚めて眠れず聞きをればテレビ濃厚に世相を写す


眠りさへ能力の中と言ひし人納得しつつ老いて眠れず


雨の音かくも身近に聞こえをり夫逝きしは何年前か


  平成十七年十月号


起きてより何をしたるや思へれば飯を食ふさへ忘れゐたりき


かくのごとわれの生きゐる甲斐ありやさればと言ひてせん術知らず


先生はいくつまで生きてゐたまひし今宵思ひてただなつかしむ


独りにて長く生き来し心地する夫逝きしは幾とせまへか


この家に住みて五十年わが庭をおほへる木々の変るともなく


  平成十七年九月号


一面に茂る南瓜に雑草の生ふる余地なしわが庭のうへ


芥より芽吹きし南瓜庭いつぱい広がりをれば実るを待たん


雨降るを気づく事なくゐたりしか起き出でて来ししばらくの時


いくばくも無からん命明暮にわれは思へど切実ならず


かく生きて如何なる未来あらんかと思ふことさへおぼろとなりつ


  平成十七年八月号


おほよそに一日の過ぎし思ひする事あり昼の眠りより覚め


十四室ある家の中さしあたり日々に使ふは二つ部屋のみ


青山に長く住みゐし頃ありきそれより前は思ひいだせず


学校を休まぬ年のなかりしかかくある躰ゆゑよし分かず


この日頃老いて思へばあはれあはれ歌作るさへかなはずなりつ


  平成十七年七月号


朝鮮より引き揚げて後しばしの間教師をしたり故郷にすみて


田の中の道細ければ自転車にゆきて落ちたることもありしか


いつ植ゑしものとも知れず気のつけばその時々に花咲きてをり


寒ければ雑草生ふることもなく健けく伸ぶ畑の青菜は


長女として弟妹多く育ちしに便りさへなしいかにかをらん


  平成十七年六月号


朝床にからだ冷えつつ目覚めをりいつとしもなく季移りゐて


寝つつ見るわが窓の外咲き満てる古木の梅はいつ開きたる


朝食を食ひて再び眠らんにからだが重しからだが寒し


朦朧となることありてあはれあはれわが子ですらや居所分かず


かくの如老い呆けて病む所なく過ぎゐることのかたじけなけれ


  平成十七年五月号


かたはらに煮てゐし鍋が又焦げつ焦げたる鍋を洗ひてをれば


幼き頃弱かりしわれこの日頃病むことのなし九十二歳


歌を見る力いくばく残れるや選歌してをりかく老い果てて


からだの何処か痛みて夜半に目覚むるは死に近づきし齢の故ぞ


猛烈に働く夢を見てゐしが躰痛みて目覚むるあはれ


  平成十七年四月号


わが頭脳混沌となる事のあり老いたるかなや呆けたるかなや


殊更に寂しともなく気のつけば日すがら一人ゐること多し


落葉する木々忽ちに落葉して夕ぐれの庭くれゆかんとす


日すがらに何するとなく床にをり心休らふことのなきまま


朝より何か届くと思へればわが生日ぞ忘れゐたりし


  平成十七年三月号


何時までも雪残りゐる庭の面夕暮れてなほ雪落つる音


宵早く臥所に入りてテレビ見るかくて終らんわれの一生か


夕飯を食へばなすことなき如く臥所に入りぬテレビをつけて


幾つまで生きゐむわれかあはれあはれ親の逝きたる年さへ忘る


その一生通し幸ひなりし人いくばくありや人は悲しき


  平成十七年二月号


いつよりとなく斯くのごと老い呆けて生きゐるわれか何時まであらん


一人住む限界思ふことあれど何とかならん九十二歳


残滓を庭に埋めつつ思ひをり独り暮らすは限界ならん


何もせず独りのみゐる時多し思へばかくて終らんわれか


朝起きて何を着んかと迷ひをり昨日着てゐし物さへ忘れ


  平成十七年一月号


起きてよりわれ今日何をなしたるやあたり暗きは朝か夕べか


突然に朦朧となることのあり致し方なし九十三歳


かくのごとわが呆けゆく過程にて深き悲しみ薄るるならん


南方に行きしままにて便りなき汝を思ふぞ生きゐる限り


何事も面倒となり歌集など出す事さへや夢の又夢


  平成十六年十二月号


夫逝き幾年経しかあはれあはれその成行を思ひ出だせず


人に逢ふことなく過ぎしこの幾日分きて寂しといふ事もなく


わが庭の夏柑二つ生りゐしに何時よりか無し今日見れば無し


かくの如ありて何時まで生くるらん朦朧として一日ゐたりき


久々に降りたる雨にわが家は雨洩る所一箇所殖えつ


  平成十六年十一月号


何もせず独り籠れば安々と日々過ぎてゆく死後の如くに


かく迄にうまき南瓜はわが庭に埋めし堆肥より芽吹きしものぞ


十余り部屋ある家に一人住むわきて寂しといふこともなく


かくばかり人の熱狂する野球いつ頃考へ出しし遊びぞ


  平成十六年十月号


間違へて生りたる如き芋さへや鼠に喰はる抜きて見たれば


部屋の窓二つふさぎて茂りたる南瓜実れり楽しくてならず


夕光にかすかに見ゆる紅は芙蓉の花の咲かんとすらし


ひとりでに生りたる南瓜ひとりでに咲きし朝顔見出でて嬉し


夜すがらに苦しみし夢やうやくに覚めてその夢分析しをり


  平成十六年九月号


わが老いて行く様つぶさに子は見るや昨日為し得し事今日出来ず


その一生苦しみし母思へればわが苦しみは言ふ程もなき


仏教に寄りて幾ばくその心救はれしとも思はざりしか


きつかけもなく朦朧たる意識にて「歩道」の事を思ひゐたりき


九十二歳にてかくはまどへる人ありや長く生くるも幸ならず


  平成十六年八月号


若ければ当然のごと思ひしが今改めて如何に思はん


事もなく過ぎゆく日々を煩へどわれに残されし日月思ふ


病むといふ程にあらねど老われに苦はあるものぞ生きゐる限り


いくばくも無けん命と思へれどある命にてかくはわづらふ


古里は住む人のなく売りたりといふ報せありどうとでもなれ


  平成十六年七月号


鹿児島に産まれ北鮮に育ちたり東京にいま生終へんとす


腑に落ちぬことのみ多きこの日頃老いたるかなや呆けたるかなや


結婚の祝に貰ひし茶呑茶碗今に使へり五客揃ひて


独り住むわれに栄養足りゐるや九十二歳病むことのなし


おのづから芽生えし苗を育めり西瓜ならんや南瓜ならんや


  平成十六年六月号


何故にかかる事態になりたるやつづまりはわが招きし事ぞ


かく老いてかくは苦しむ根源を思ひてゐたり暁覚めて


植ゑし記憶なきわが庭の八重椿年々に咲く丈低きまま


雨降れば寒さの戻る昨日今日滞りゐし悔しみ戻る


けならべて独り籠れば昼食を食ひしや否やさへや覚えず


  平成十六年五月号


故よしの分かず離りし子を思ふわれを離りていかにかあらん


考へてみるまでもなくわが齢かく永らふは遺伝のゆゑぞ


時くれば飯を食ひ時くれば床につく用なき如く用ある如く


馴るるといふ感じなくして悲しけれ常わだかまる一つ思の


何といふ変哲もなく暮らしゐて今日だしぬけに死を思ひたり


  平成十六年四月号


父母を思ひ出づるもまれとなりわれの一生の終らんとする


かすかにて暮らすといへど正月の餅ひ買ひ来つひとり食ふべく


かくありて思ひまうけぬ楽しさよわが庭畑に大根太る


手に重く野菜を下げて歩みをり夕木枯の吹く寒き道


何もせず老いたりといふのみなるや日々過ぎてゆく罪の如くに


  平成十六年三月号


かくありて生きゐる事の不思議さよ人間一人死ぬこと難し


不愉快なる事のありしが忽ちにその次第さへ思ひ出だせず


実りたることなき柿が庭占めて枝を拡ぐる切り倒さんか


柿にても雌雄のありや植ゑてより三十年遂に実ることなし


突然に胸のとどろく事のあり何が転機といふ事もなく


  平成十六年二月号


わが許を離れ行きし子思ひをりいくばく残る命ならんか


命終の迫りゐる事思へれど切実ならず人も然らん


朝より心たかぶりゐたりしは何故ならん老いたりわれは


昼食を食ひしや否やあいまいに貰ひしパンを食ひ始めたり


野菜作りも今年あたりが限界か庭の青菜を摘みつつ思ふ


  平成十六年一月号


時刻む如くにわれの呆けゆくを思ひてゐたり甲斐なき思ひ


ただ起きてゐることすらやもの憂けれ朝の飯食み又床に人る


何時見ても青き葉茂る庭の柿実らんことの遂に無けんか


白生して年々実る苦瓜を今年も食ひつ忝なけれ


かくのごと独り住む日々過ぎてゆく家出づるなく何するとなく


  平成十五年十二月号

今のこと今忘れ去る悲しさよ日に幾度も日記を記す


この日頃驚くことの一つにてわれのめぐりに蠅のをらざる


悩みゐし事の次第を忘るなどあはれこの夜眠り難しも


見事なる君の一生と思はんか今はの様は定かならねど


近く住むわが孫この頃来らずと思へば既に嫁ぎゐたりし


  平成十五年十一月号


ポストまで行きしばかりにかくの如胸とどろくは尋常ならず


殊更に病むにあらねど日すがらに臥しつつゐたり全身たゆく


いくばくもなけん命と思ひつつ畑を耕す九十すぎて


わが思ひ伝ふるすべのなきままに十年過ぎつ如何にかをらん


九十を過ぎしわが年思ひをり日すがら人に逢ふこともなく


  平成十五年十月号


隔たりて住めば逢ふ事なかりしに逝きたる後のこの寂しさよ


まなしたに瀬戸の内海見おろして君と歩みきかの蜜柑畑


月々の御歌親しく恃みしに今は果敢し君逝きたれば


九十歳過ぎたるからだものうけれ朝まだきよりもて余しをり


どうしようもなき事またも思ひつつ昼床に躰ぬくもらずをり


  平成十五年九月号


時を経ず記憶薄るることあれば日記を記す日にいくたびも


長女にて家族十人の飯盛るを歎きたりしか今独り食ふ


幼くて別れしかども如何にゐんいづくにゐるや面影に顕つ


この友と語りてをれば常持てる憂きことなべて忘るるごとし


東京に来れば必ず訪ひくれし君逝きませり悲しみつきず


  平成十五年八月号


庭畑に野菜を作る喜びは直接にして飽くことのなし


かくのごとわが呆けゆく過程にて深き悲しみ薄るるならん


日すがらに人と対応しをりしが終りし後のこの虚脱感


朝より寒かりしかど曇空かすかに焼けて日は没らんとす


突然に朦朧となることのあり致しかたなし九十一歳


  平成十五年七月号(バックナンバ―)


庭隅に三十年咲く花蘇芳その幹の丈さして変らず


置石を片づけ池を埋めたりし庭の一面青菜の畑


日すがらにテレビをつけて独り住むかつての老人如何にか経けむ


時逝くをひたすら待つといふ象かく老い果ててひとり籠れば


わが庭に植ゑし記憶のなき椿花一つ咲く二十年経て


  平成十五年六月号(バックナンバ―)


長命の血統父母より受けつぎて九十一歳いまだ生きをり


九十過ぎてかくの如くに働くを喜ぶべきか哀しむべきか


これ以上呆けざることを祈るのみ既に呆けしは致し方なし


わが躰いよいよ駄目か臥所より起くるにさへや時間がかかる


ふかし芋呉れ行きし人誰なるやタ餉にひとり食ひつつ思ふ


  平成十五年五月号(バックナンバ―)


九十歳過ぎゐし頃の父思ふながく生くるは幸ならず


まれまれに死を思ふことありといへど実感のなしかく老いながら


省みてわれの未来に希望なし老いたりといふことのみならず


弱きからだ励まし生きし九十年この位にて死なば安けん


落葉せる木々あいまいに枝交はす最も寂し日の暮れ前後


  平成十五年四月号(バックナンバ―)


九十歳過ぎても切実ならぬ死よかかる思ひはわれのみなるか


身辺に憂きこと又も起りたり生きてゐるさへいとはしきまで


ことごとく落葉したりし庭の木々朝の光に照る潔く


鹿児島に生れ朝鮮に育ちたるわれ東京に生終へんとす


かほどまで呆けしと思はざりしかばこの衝撃のただならなくに


  平成十五年三月号


耄老として生きをればあはれあはれ夫の逝きし年さへ忘る


かにかくに生きつつあればいくばくも残らん命考ふるなし


おほよその杏落葉し好ましき柿の実いくつあらはになりつ


物忘れ激しくなりてこの日頃常に不安を持つごとくゐる


如何ならんゆゑよしありてかくなりしそのいきさつを忘るるあはれ


  平成十五年ニ月号(バックナンバ―)


地下二階の工事終へたる家の前あからさまなる轟音となる


たつた今わが手に持ちてゐたる物いづこに行きし暫く思ふ


九十にて独りくらすをやうやくに心もとなく思ふこの頃


企める如き悪意を感ずるも子には子として考へあらん


厳しかりし夫の遺伝ことごとく子に現はれてわれの苦しむ


  平成十五年一月号


どうしやうもなき事又も思ひつつ昼床にからだ温もらずをり


呆け来しをかくは歎けど訴へてともに歎かん人われになし


何するとなく一人ゐること多しかくて過ぎなんわれの晩年


いくばくもなからんわれの命にてどうにかせねばこの事のみは


医師なればその恩恵に預りし熊谷さん逝き幾年経けん


                        




〔歩道賞