今月の特選


   二〇二四(令和六)年二月号  


     



   二〇二四(令和六)年一月号  


   四季折々の歌      大塚秀行
冬の日の暮れし皇居の空統べて悲しきまでに朱かがやけり
その形顕たしめ雪は梅の枝に付きをり寒に入りたる庭に
ひさびさに蛇崩ゆけば山茱萸の黄の花満ちて道あたたかし
風凪ぎし川の辺ゆけば夕つ日は河津桜のくれなゐにあり
里山の濃き青淡きあをのなか垂れて光れりむらさきの藤
あざやかに農鳥浮かびゐる富士に八十八夜の日がふりそそぐ
燕らの今年は来ぬか軒下の巣にそのこゑのなきを寂しむ
夏の日にあをかがやかせ丹沢の遠き山並近きやまなみ
家前の畑に葉牡丹八千が植ゑられ秋の彼岸にぞ入る
遠く来て見をれば何がなし楽し落葉松林に黄のかがやきて
霜柱見ゆる畑にてあを二尺伸びたる葱はみな朝日向く
いただきは風強からん白雲の湧きては消ゆる歳晩の富士


   朱 鷺         横山節子
つつがなくわが日々のあれふりあふぐ元日の空晴れて音なし
甥姪の塔婆もまじりつつましく夫の十三回忌を修す
保育所に迎へ待つ孫わが胸にとびくる力いまに忘れず
聖堂に楷の大樹のおほくして芽吹きうながす今日の青天
山ひとつやしほつつじに覆はれてはなやぐ朱に酔ふごとくゐき
せはしなく照り翳りする尾瀬ケ原池塘にうつる雲はやくして
ぬばたまの夜の湿原にゆくりなく湧きたつごとく蛍とびかふ
さりげなき別離の電話と今に知る君の死伝ふる手紙よみつつ
武甲山ははやも若葉となりしかどこの景詠みし友は今亡し
年々に芍薬かかへ訪ひくれし友をしのびぬ暮れなづむ宵
海霧のはれてたちまち現るるあをく横たふ佐渡の島かげ
期せずして朱鷺の五六羽が鳴き交はしたをやかにとぶ水張田の上



   二〇二三(令和五)年十二月号  


   わが町         上野千里
梅雨明けの暑きひかりに竹似草はやも花咲く森のくさむら
樹の下に馬頭観音まつられてひとときいにしへ偲ぶ街森
たかだかと百日紅の花さきて暑き歩道に木洩日うごく
たちまちに暮るる公園音のたえ桜のもみぢ外灯に照る
ふるさとに雪積むころを思はしめわが町暗く寒き雨ふる
陸橋を来れば遠くに演習のパラシユート隊空にただよふ
霜どけの落葉が光り黒土のひかる公園さむざむ歩む
ことごとく冷えてしづまる街の森冬木のむかう夕映のこる
冬枯の荒草しのぎ咲きみつる瑠璃唐草の青の明るし
たうとつに祖母をしのばす白椿こぞり咲きゐるところを通る
寂しさのきざす夕暮うちつけに紅梅かをる坂の道より
生きゐれば今日百歳の父なりき街森の若葉こもごも光る


   枝垂れ源平桜      山本玲子
久久に心にしみて聞きし曲アベマリアホールに静けさ満ちて
曇りとも晴れともつかず水無月の庭の雑草たくましく伸ぶ
頂きし桃は夫の大好物先づは供ふる盂蘭盆の朝
美しきキエフの街に積む瓦礫侵攻受けし国の悲しさ
今日ひと日声なく家に籠りゐて夕餉のあとの口角体操
コンバインの後追ひ落穂拾ふ友秋晴の田に溶け込むごとく
実生より育ちし小さき紅万作橋の袂は西日に映ゆる
立冬の穏やかな海眺めつつ海のかなたの戦を思ふ
風もなき庭に光の広がりて殊更冴ゆる冬の満月
積む雪を払へば間なく南天に鵯飛び来て赤実啄む
季移りみ苑に桜の花満ちて枝垂れ源平風にそよげる
残雪を未だに被く山々の続く安曇野みどり麗し



   二〇二三(令和五)年十一月号  



     



   二〇二三(令和五)年十月号  


   戦おこるな       菅千津子
独りなる段取りに慣れ正月の餅を作るもあと幾度か
岩のごとき梅の切株垂直に伸ぶる新芽に蕾こぞれる
蜜柑山なりし斜面の彼方まで咲く水仙に海光およぶ
霧ふかき朝の歩みの幻聴か今は聞くなき霧笛のひびき
速度ややおとろへたりと意識して歩む道の辺穂麦色づく
いふなれば雲平線か機窓より見る青空と雲の境は
収穫を終へし蓮の田均等に秋日を延べてわづかに青し
ねむり待つときの連想すぎゆきを省みれどもなべては遠し
老われの知る由のなき未来もつ曽孫の世に戦おこるな
爆音が戦時に直結するわれは祝賀の飛行の音に怯ゆる
戦争がもたらす悲しき映画にて大地にひまはり咲くウクライナ
ただ一人の野望がかくも人類を苦しめいまだ出口の見えず



   約束          前田弥栄子
朝より日差しの強く植ゑ替へし撫子紅のひと色に咲く
山吹も木香薔薇も黄に咲きて持病の咳の夜出で易し
友よりのなさけの苗の育つ庭絹さやの生りトマト花咲く
ウクライナの戦禍憂へゐる日々にグラジオラスは鉢に育ちつ
家々につつじ咲く見え互みにて歯の治療待つ夫とわれは
梅雨つづくさ中に逝きし父しのび紫陽花の咲く夕庭に立つ
八月の墓掃除など約束し一泊せし子ら帰り行きたり
朝光にやまぼふし咲き家ちかく夫の主治医開業したり
この夏の節電を言ひいくばくか照明暗きスーパーめぐる
法師蝉の声ゆくりなき朝の庭森吉山の歌碑の辺の顕つ
仕来りを守りてきたる亡き姉と言ひ偲びをり初盆近く
子の通ひし小学校のバザーにて求め五十年さるすべり咲く


   二〇二三(令和五)年九月号  


   古希前後        大塚秀行
おぼろなる富士立つ四月尽の朝今年のつばめやうやく来る
そら豆と鰹食ひつつコロナ禍の連休今年も籠もれり家に
募りくる虚しさいかに遣らはんかロシアの侵攻止まざるうつつ
洗脳をされたる信者あはれなれ献金詐欺にうたがひ持たず
今宵また玩具をくはへ飼猫はわが枕辺に立ちて鳴きをり
古来稀と言ひて七十迎へたる父の笑顔の忘れ難しも
上高地の宿にて妻とワイン飲みわが七十の生日祝ふ
手術より七年経しかここの地に来て河童橋わたるよろこび
澄みわたる明神池にかがよふは黄の葉朱の葉めぐり音なし
そこはかとなき青顕てる梓川見をれば心洗はれてゆく
かづく雪光れる穂高連峰よ残生ゆたかに在らしめたまへ
穏やかなる大つごもりの庭に出で富士にし沈みゆく日を送る



   終の住処        戸田民子

新しき年こそ佳きことあれかしと門松飾る子らと住む家
朝まだき冷気まとひて来し丘に年初の光の輝きを浴む
雪けむりたつにかあらん川へだて遠く見る富士稜線おぼろ
台風の予兆ならんかあかときの空一面にあかね雲浮く
バリアフリーのわが家に漸く慣れしかど街ゆく時にすり足となる
いつしかに親子の立場入れ替はり老いたるわれは子らに諭さる
母在らば夫あらばと思ひつつ夜の厨に黒豆を煮る
わづかなる私産の在り処子らに告げ老いたるわれの心安けし
わが居間に昼間あかりを灯すまで庭の柿の木生ひ繁りたり
わが終の住処とならん小庭の草をひきつつ残生おもふ
十歳にて敗戦経験したるわれロシアの侵攻に戦きやまず
ウクライナの長き戦禍に敗戦後貧苦に耐へたる日々よみがへる



   二〇二三(令和五)年八月号  


   白き百日紅       原田 美枝
今年またここの入江に渡り来て憩へる鴨ら二十羽ほどか
昨日の雨晴れたる午後の峡の道空にひびきて竹伐る音す
梅雨のあめやむ空暗く埋立地の入江にせめぐ満潮暗し
網膜の血流障害などと言ふわが身におこることを訝る
家ごもるわれに見よとぞ庭に咲く白き百日紅日にし輝く
コンテナを積み長々と貨車の行く朝より暑き風まきあげて
歯の弱き夫にと衝動買ひしたるバナナは重し散歩のみちに
病みがちのわれら気づかふ長男が帰省し数日テレワークする
道の辺の自生の一樹紫の花咲きてやうやく楝と気づく
海峡よりかすかに潮の上るらし入江の水面冬日にひかる
両の目の瞳孔開きし日の夕べ覚束無きまま食事用意す
夜明け近き四王司山の西の空昨夜見し満月沈まんとする


   病める日々       小堀 高秀
コロナ禍も戦争もなく明日の夢ありし昭和の若き日恋ほし
ただ寝ねて死を待つのみの姉の手の温もり寂し別れんとして
コロナ禍と戦火伝ふる暗き日々桜開花のニユースに和む
師の文を支へに幾度歌詠めぬ苦しき時を乗り越え来しか
人知れず眠れるごとく世を去りし母のごとくにわれも逝きたし
わが病める日々癒し鳴く鶯のこゑ狭庭より澄みて聞こゆる
十五年われを看取りて悔いなしと妻の咳き身内に心むる
吹き荒れし風いつしかに鎮まりて夜更けに妻の湯浴みする音
悔い多きままに終らんわが生か一日一日を惜しみ歌詠む
久久に眠り足らひし朝床に春立つ雨の音を聴きゐつ
年々に眠りの浅くなりゆくを互いに妻と寂しみ合へり
感染の疑ひ晴れて帰り来し妻は真昼に深く眠れり


   四季を楽しむ       村山 麗子
幹の裂け根方は虚となる桜胴より吹きて蓄のひらく
鷹狩の家康のため掘りしとふ池のめぐりに桜うつくし
八鶴館とともに老いたる桜にて災禍疫禍をつかのま忘る
くり返し居場所を変へて身を冷やす犬ひとときを三和土に憩ふ
青田吹く風ここちよくうたた寝の覚めしひととき安らぎにけり
勢ひて鳴く蟬の声少なしと思ふこの夏猛暑の続く
吾亦紅すすきりんだうをみなへし清けき月を宵にわが見つ
高空に上弦の月淡々と見えわが庭に秋の深まる
春に見し池の桜は葉を落としわが立つめぐり清き風吹く
白秋のことばゆかしきソプラノの響きゆたかにわが胸に泌む
京都より帰りて朝の空を見る果てしなく晩秋の光に満ちて
薄曇る秋空のもとなにがなし心弾みて茶房を出づる


   林檎畑         藤原チヱ子
前山をとよもして吹く山嵐春待つ林檎の花芽いたぶる
剪りし枝集めて焚きし埋火の冷えびえとして前山暮るる
裏畑をこめてたつ霜うすれゆき逃れる如く群鹿の去る
桜咲く公園のそがひに浮かぶ山いまだ真白き雪被ぎをり
芝ざくら白く根方にめぐらせて門のもくれん花開きたり
もくれんの花に遊べる小雀を見つつ林檎の畑に出でゆく
クローバーの葉群吹く風摘果する林檎畑に暫く憩ふ
朝出でてひと日畑に働きし穏しき日々の今は還らず
タ蛙鳴けば思ほゆ田植終へ帰る父母待ちるし記憶
藤波のふれあふ風のやさしくて絡む大樹の下に佇む
草いきれたちくる午後の畦道を速度ゆるめて杖つき歩む
農退きていかなる日々の待つならん乏しき歌を詠み続けきて



   二〇二三(令和五)年七月号  


   紫陽花         戸田 民子
癒ゆるなき病に耐へつつ最期までよき歌作りし君を尊ぶ
花を愛で歌を作りし君なりき逝きて三月か笑顔のうかぶ
タ庭に白蝶草を植ゑて聞く夜半降る雨の静かなる音
戦時下の貧苦にひたすら耐へしかど今日すこやかに生日迎ふ
梅雨の雨やみて日のさす小庭に紫陽花の咲くわれの生日
けふ一日ことなく終へし夕庭に山椒つみて夕餉にそふる
十日余の続く炎暑に庭木々も老いたるわれも萎ゆるがごとし
したたかに雨降りしきるわが街の明かり灯れど昼なほ暗し
わが屋根をうがつがごとき雹の音漸くやみて雷のとどろく
言はずともよきこと又も口にせし悔いだきつつ雑草を引く
声帯も老いてゆかんか久々に合唱すれど声のひびかず
若かりし歌声喫茶に歌ひたるロシァ民謡いまになつかし


   猛暑日         戸田 佳子
六月の猛暑日つづく生日にのうぜんかづら生き生きとさく
いち早く梅雨の明けしが猛暑の日蟬の鳴かざり今年の夏は
梅雨戻りきのふも今日も雨のふり家にこもりて逝く日々はやし
溝萩の花さく庭にわが立ちて亡き父母をしばし恋しむ
罪のなき人らの殺戮五箇月かロシアの軍事侵攻つづく
わが庭の百日紅に蟬の鳴きしみじみと聞く立秋の朝
しろたへの木僅花さくかたはらを週に一度のリハビリにゆく
八月も週に一度のリハビリをしつつあつけなくたちまちに過ぐ
樹皮はがれ幹の古りたる百日紅真夏日のなか紅のこくさく
日々コロナ感染者数の増加聞き三年目となる夏を迎ふる
台風が北上しるて朝より緩急のある雨のふりつぐ
タ暮の早くなりたり十三夜の月が中空に早くもかがやく


   昨夜の雪        小林まさい
絶え間なく無線通信聞こえをり雪にて遅延のバスの座席に
オリンピツク見ゐるテレビに雪による運休情報ひまなく流る
去年までと同じ寝具にて寒さ覚ゆこれも老化のーつならんか
庭に積む雪がやうやく減りて来ぬ隣家の窓が見ゆる位置まで
日を追ひて堰堤落つる水音が高くなりゆく雪解けの時季
花の数増しゆく庭をわが見つつ辛かりし豪雪赦すおもひす
窓閉めず寝れば二階に庭畑の野菜の花のあまき香とどく
心地よき瀬の音春と変はらねど木々の葉繁り川面の見えず
花を見し木苺心に掛けながら実のなる季を忘れて過ぎぬ
日によりて日向を選び日によりて木陰を歩む秋の散策
強風を受けて裂けたる柿の枝数日の後あをき葉落とす
庭土にわづかに残る昨夜の雪来向かふ冬に気持ち引き締む


   声        片山佐依子
タ空に谺しひびくほととぎすふりさけて聞く兄の忌近し
子や孫に恵まれ生きし父と兄本堂に並ぶ位牌に額づく
共に見し桂あふげば吹く風にやさしき兄の声が聞こえる
胃の不調治まりがたくかねてより望みゐし胃カメラ検査に赴く
内臓と心の有り様絡むらし生活しをれば不安も多く
日盛りの温かき風に顕ち来たる金木犀の花の香に酔ふ
早まりし日の傾ぶきに花穂ひかる狗尾草は遠くそよぎて
声高にわが名を呼びし兄の夢うつつの事とおどろき覚むる
朝々に兄と交ししあいさつも今となりては有り難き事
過信せず体をいとへと言へぬこと悔いあまた有り妹なれば
それぞれの暮し在りしが生れしより共に育ちし肉親の兄
朝まだきほのぼのと鳴く白鳥の飛びゆく声に目覚めてるたり


   二〇二三(令和五)年六月号  

     

   二〇二三(令和五)年五月号  

   


   二〇二三(令和五)年四月号  


   電子音         坂本 信子
コロナ禍の自粛の心癒したる花々惜しむ晩夏の庭に
老すすむわれらの暮し見守るか子が帰省してテレワークする
搬送先さがす救急隊員の声おぼろ気にわれは聞きゐき
わが脈のみだれが電子音となりひびく深夜の救命室に
病棟の向うの山に朝日差し送電塔の先端ひかる
待つとなく再入院を待ちをれば庭の芍薬芽吹きたくまし
娘らが来りて夫を見守れば心置きなくわが入院す
八十二歳迎へし今日の有様は手術室にしわが運ばるる
院内に幾度見しか手術にて運ばるる人いまわれとなる
わが病みてゐる間に花の終るらん遠き桜がおぼろに白し
子が作る朝餉のにほひに目覚めたりこの平穏にしばらく浸る
不整脈抑ふる薬たづさへて行きし歌の旅宝とぞなる


   貝母の花        堀 和美
老僧が幼な背負ひて落葉焚く煙ながらふ宿坊に着く
えごの木に残れる花も散る花も白すがすがし良き日とならん
秋の日のゆふべ寂しき廃寺あり庭歩みつつ銀杏ひろふ
わかき日のわが投稿歌を切りぬきし母をし偲ぶ祥月命日
美しき日本の体操うけつぎてバトン渡せり内村選手
ひさびさに埋立歩めば浜風に吹かれつつ赤き木瓜の花咲く
あらかじめ己が怠惰をゆるす日と戒しむる朝臥所にありて
恵比須社の松の樹下に薪を割る父の冬支度いさぎよき音
コロナ禍と喪中かさなりこの家の正月静かにすぎてゆくべし
疾風に顔を伏しつつ車押すわれの墓参も今日がかぎりか
古里をいづるわれへのはなむけか来翰の花が遅れ咲きいづ
古里は遠くにありて思ふものかく言ふ定めになりたるわれか


   二〇二三(令和五)年三月号  


   母           大友 圓吉
春は苺秋には林檎柿好み買ひ置きゐたる母の偲ばゆ
コロナ禍にあれば子等にも知らせずに母の回忌を修し了へたり
宗教は自由と言へど明らかに邪宗勧める輩を疎む
病持つ母にしあれば心寄す邪宗と言へど詮なきものか
歌記す母のノートは拙くも心晒して涙ぐましも
敗戦後六人育てし母の歌苦渋に充ちて読むに堪へなし
リユウマチを病めば体の何処にも痛み走ると老い母呻く
点滴も上肢に溜り効かざれば打つ手はなしと医師は嘆かふ
ドクターも諾ひをれば母望む最期を家に帰りて迎ふ
背や腹を拭ひてやるに老い母は邪険にするなと怒り騒げる
寝返りをさせしばかりにまた呼ばふ病み臥す母の何に苛立つ
寝たきりの母に幾度呼ばるれば邪険になるを抑へかねゐつ


   土の香         高橋とき子

君子蘭の花蕾漸く朱のさせば春立つけふの日差しを当てん
菱餅をこもごも搗きしふるさとの雛の祭は母の生日
雛飾り愛でつつ家並まはりたり幼き子らの春のよろこび
豪雪に圧されしままの畑土を起こせば息のやうな香の立つ
いくたびも鋤きたる土のしづかさや自づとわれの心和ぎゆく
あたたかき春日に力蓄へん土も生きとし生けるものらも
松江城下なんじやもんじやの咲く頃か散華の如く花を浴みし日
晴れわたる六月の朝蚕豆の莢すずやかに天に向き立つ
残虐に人をあやむる戦争のあからさまなる日々のニユースは
十八歳国を死守すといふ言葉外つ国なれどおののきて聞く
戦争の真意も知らず前線に立ちし青年の投降あはれ
難民となりしをさなら異国語を表情かたくひたすら学ぶ


   二〇二三(令和五)年二月号

   


   二〇二三(令和五)年一月号
    

   —

   二〇二二(令和四)年十二月号  


   春の光         花崎 邦子

六月のぬるき風吹くわが庭に桃色あはき夏萩の咲く
右ひざの手術日決まり落ちこみてゐる暇もなく手筈ととのふ
目覚めたる真夜の窓辺に月赤く見下ろす街は静かに眠る
回診の医師笑みたたへ順調とコロンのかをり残し去りゆく
動画にてひ孫誕生の知らせ有り梅雨あけしわが退院の日に
体調の戻れば家事を始めんか赤きトマトはつややかにして
リモートの面会終り手を振れば画面に小さく夫手をふる
木星のひときは光る街空に宇宙船とぶを陸橋に待つ
オミクロンの疑ひありとの夫の熱判定を待つ長き三日間
梅の咲く施設への道歩みつつ夫に伝ふる言葉を探す
空までも明るく染めて桃の咲く春の光のゆたかならずや
やうやくに膝の手術痕薄れきてスポーツクラブに復帰をはたす


   晩鶯の声        堀 和美

夜毎降る雨に濡れたる路地に出づいたく静けき一日はじまる
硝子戸を透しながむる谷の樹々霜かとまがふ有明の月
メタセコイヤと稲荷の森に塒する鳥の呼び合ふ声するゆふべ
父の病むいとけなき孫あづかりし一月ありぬ悲喜こもごもに
稀に逢ふ孫は曽ての幼にて老耄われの涙腺ゆるむ
縁ある若き石屋の計らひに土葬の祖母を移さんとする
おだやかな日々の続くを祈りをりホームの友に移居するわれに
久し振りの秋日和にて肥後菊をみづから褒めて友に持ちゆく
夜をこめて味噌豆を煮るかまどの火に浮かぶ母あり瞼とぢれば
二階より日の出を拝さん心意気あれど転びて元日終る
浅春の海に波乗りする入ら眺むるのみにコロナ禍忘る
逝く春の一日静かな留守居にて草ひきをれば晩鶯の声


   二〇二二(令和四)年十一月号  


   この日々        菅 千津子

高空に望の残月朱くしてわが影をふみ歩む朝あけ
幹高き棕梠の並木に海よりの風吹くときに硬き葉の鳴る
声にせよと医師は言ふともいつ知らず黙読となり心にひびく
みづからの思ひに生くるこの日々は夫がくれたる時間と思ふ
潮満ちて流動のなき海面にもみ合ふ秋の光を写す
あらためて子規のひと世を偲ぶなり坂の上なるミユージアムに来て
病む母が幼きわれを委ねたる姉みまかりぬ会へざるままに
一目づつ編みゆく無心のぬくもりか刻の集積ひざに広がる
夜の雨溜る窪みのしづかなる道ゆく朝寒くなりたり
雪しろき石鎚の峰と向かひ合ふ墓地はありし日の夫の配慮
侵攻は市街も緑地もかくまでに形失ひ色を失ふ
逃れゆく入らの残す大切な人との再会遠からず来よ


   瞬 き         本間百々代

わかりしかば瞬きせよの子の声に夫は確かに瞬きしたり
ICUにて一人逝きたる夫なり末期の水も飲ませざりけり
食欲なく水のみ飲みゐし夫にて肺に水がたまりゐしとぞ
夫の通夜終はる頃より降り出でし雪が夜更けて盛んとなれり
逝きし夫の古里しのばせ葬儀の朝あたり一面雪積もりたり
気に入りのジヤンパー居間に掛けしままをりをりに触れ夫を偲ぶ
なかなかに減らざりし体重忽ちに三粁減りたり夫の逝きて
生前に夫の買ひたる数多の本遺影の前にわれは積み置く
夫亡くこの家に独りとなりしわれ独り言の多きに気づく
夫逝きふた月の過ぎ何となく控へてゐたる珈琲を飲む
朝あさに夫と散歩してをりし公園めぐり桜満ち咲く
濯ぎもの少なくなりしと思ひつつ夫逝きしを諾へずをり


   二〇二二(令和四)年十月号   


   大和巡遊        大塚 秀行

コロナ禍の自粛とかれて紅葉のかがやく奈良の都に遊ぶ
若き日に父と訪ねし室生寺を妻とめぐりつ紅葉照るなか
檜皮葺の屋根にむす苔木漏れ日にひかりて室生の塔は立ちをり
山寺の舞台に立てば聞こえ来る吹く風の音ゆく川の音
登廊より見やれば紅葉する木々をしたがへ聳ゆ初瀬の塔は
あざやかに青と丹ひかる伽藍にて薬師寺令和の世によみがへる
夕暮れの空にし映えて薬師寺の東塔西塔並び立つ見ゆ
堂に灯のともりて薬師三尊が顕ちをり闇の中にたふとく
没後千四百年か秋ひと日太子をおもひ斑鳩めぐる
金箔のかすかに残るみ仏にいにしへ人の祈り見るべし
四十年経てまみゆれば今もなほわれを富ましむ弥勒菩薩は
昼酒を許したまはな古稀近きわれにて妻と旅にしあれば


   コロナ禍        齋藤すみ子

古りし雛かざりて友はおのおのの雛のマスクを作り掛けやる
こゑあげて笑ひしことは何時の日か山法師の花みな上を向く
静かなる海に漁船の炎上し皆既月食雲の間に消ゆ
友の来て庭の梅の実収穫の梅雨の晴間の一日は豊か
いつよりか子に助けられ生きる日の喜びのあり寂しさもあり
予定表おほよそ通院のみにしてコロナ禍の夏二年の過ぐ
波の音響く渚の空高く果てゆく夏の海静かなり
書店閉ぢ施設に行きて友はやも逝きし知らせぞ石蕗の庭
熱出でて肩の痛みの強ければ時間外診療受けて耐へをり
コロナ禍の二年余つづく歳の暮帰省の孫との話はつきず
コロナ禍に手術の娘待つ一日冬雲ひくく照りかげりする
戸をくれば昨夜の雨止み海岸線澄める高空明星ひかる


   二〇二二(令和四)年九月号  


   時の響き        元田 裕代

薄雲る空を写して水たまり道のゆくてに暮れ残りをり
来春の希望者五人の履歴書を見てをり朝の事務所にひとり
孫二人わが丈すでに越して立ち休日ゆるりと会話の進む
きびしきは体の限界知る時かひとりの暮しに悔はなけれど
一組の面会のみの施設内きこゆる会話につられて笑ふ
晩秋といへど一日の荒々し風の合間に日の強くさす
雨後の秋日に照らふかやの木は樹木葬なる霊園に立つ
ゆるやかに川の流るるキヤンプ地に子の腕を持ち枯芝を踏む
満月を二日過ぎたる枕辺におぼろなる月のあかりを受くる
成るやうになると思ひてやうやくに落着くまでのわれの葛藤
霜降りし朝の冷たき庭先に下肢はからまるごとく重たし
眠らんとする二階までよどみなく脱水の音きこえくる夜


   迎へ火         横山 節子

橋渡る始発電車の音に覚め気負ひて遣りし商ひの日々
船窓の海面にあをき月影があるとしもなき波にたゆたふ
祈るほかなくて記憶を共有する震災ののち十年の今日
おびただしき汚染水のタンクの映像のあとにながるる都心の桜
菜の花の今咲く頃かさいはての開聞岳を下りたるみち
ワクチン接種やうやく終へて来し甲斐の若葉の山に春蟬をきく
暮れてなほ暑気とどこほる菩提寺の池に河骨茫茫とみゆ
あかときの夢に夫と語らひし刹那恋ほしも迎へ火を焚く
無人駅のことさら寒き線路沿ひ小さくなりておしろいの咲く
石庭の石をおほひてうごかざる紅葉の影と築地のかげと
六十年交はる友と来し京都つひなる旅かかたみに言はず
ゆく道のいづこにも咲く水仙の香りさながら寒気を救ふ


   二〇二二(令和四)年八月号  


   香 煙         前田 弥栄子

つづまりは見舞かなはず姉の逝く八十八歳満天星朱し
朗らかなる声の顕ちくるなきがらに別れ告げたり妹われ等
穭田に露霜かぎりなく光り八十八の姉をとむらふ
千両の赤き実豊かなる庭に朝靄のたちわれに姉亡し
父に似て左ききなる姉しのび暮のゆふべに糯米をとぐ
年明けの墓に焚きたる香煙のただよひ頻りに鴉らの鳴く
隣人の摘みくれし芹かをり立ち今年も七草粥をわが炊く
冬ざれの庭に茂れる石蕗の葉ごとに朝の雪つもり来る
老いくれば詮無きことの思はれて母の生日雪降りつづく
朱の濃き皐月の花のかへり咲き何すると無きままに暮れくる
何時しかに母の享年ちかきわれ秋明菊の咲く庭に立つ
おだやかに日すがら晴るる母の忌の庭に今年も八手花咲く


    富士山         安部 洋子

吹く風に強く押されて登り来し強羅茂吉の碑の前にたつ
いづこにも河津の桜咲き満ちて車中より眺め町通りぬく
多摩川の堤の桜散りながら木の間にはや若葉勢ふ
馬酔木さく公園に憩ひ思ひをり友らと遊びし古里の山
ワクチンの接種受け来て利き腕の痛みに着衣の脱着ならず
家ごもる日の長かれば夏至の逝き七夕過ぐるも分からずにをり
趣味にての釣りにいそしむ孫よりのマグロ釣り上げし写メール届く
体重の減りたる身体に歩むとき足の力に衰へ覚ゆ
真近にて見上ぐる富士山はればれと新雪の原光り輝く
新雪の富士の姿を仰ぐとき病む身忘れて何も思はず
富士山を見上ぐる辺り紅葉に松の林は金色に照る
目に見えぬものを恐れて家寵る暮らしも二年この年も逝く


   二〇二二(令和四)年七月号  


   風のごとくに      小堀 高秀

服薬の次第に増えて二十錠万能薬の早く出で来よ
眠りより安らひのなき癒えぬ身を何の因果と寂しむ今日も
眠られぬ夜の明け初めて寒々と落葉吹きゆく風の音する
安らかに眠れるごとき死を願ふ苦しみし入ら多く見舞ひて
検査入院の妻を送りて帰りゆく銀杏並木に木枯し寒し
受診より帰宅の遅き妻待つに窓を叩きて夜の雨降る
黄泉の国へいづれが先に旅立つと語り合へるも戯ごとならず
病む床に暁近き風を聞く子規も節も寂しみにけん
死の近き兆しならんか亡き人の夢に顕はる昨日も今日も
悔い多き過去消すごとく惜しみなく物を捨てゆく傘寿を前に
朝夕の散歩にいつも会ふ老の如何になりしや久しく見えず
五十年競ひ合ひ来し歌の友また一人逝く風のごとくに


   冬の田         村越 博茂

六反の刈田に人等水注ぎ渡りてきたる白鳥迎ふ
冬日入る丘畑ゆけば灯りたる窓より園児の声のきこゆる
広らなる沼辺の刈田に耕土機が野太き音たておほどかに鋤く
畔ぬりの終へたる冬田黒々と地表に低くゆるるものなし
廃屋の農家の庭に紅白の二本の辛夷が律儀に咲ける
池の面に跳びこむせつな翡翠にとらるる魚の春日にひかる
曇りゐる空に連なる低丘に姿見えざる杜鵑鳴く
浅谷の鋪道のかたはら露に濡れ杉菜は低く朝の日に照る
椎森の朝影及ぶ丘畑に奥の家よりラジオの聞こゆ
野分去り雲の重なる西空に四分円の虹くきやかに立つ
野分去り水嵩増せる田の川の水勢ひて小さき堰越ゆ
静もれる秋の浅谷人気なく生ふる二番穂穂先をたるる


   二〇二二(令和四)年六月号  


   追 慕         浦 靖子

鎮魂の思ひに編みしわが歌集夫と息子の遺影にささぐ
水澄める沼の底ひに散りぼひて朱鮮やけし森の椿は
追憶は悲しみとなり甦る緩和医療の子と見し桜
栴檀の花うす紫に咲き満ちて森暮れにつつ夕明りする
絶え間なく散りくるエゴの花浴みて亡き子を偲ぶ命日近く
積乱雲いくつも湧きてさながらに樹氷のごとし梅雨明けの空
晩夏の日もるる木下を覆ひ咲く赤き水引白き水引
立冬の入り日がまともに照らしだす夫と息子の遺影に声かく
亡き夫の病床の手記冷静に再び読みつ三十年経て
庭畑にダリアとりどり培ひし亡夫顕ちつつ供花にあがなふ
確かなる亡き子の声と聞こえしが幻聴あはれしばし探しき
独り居の寂しさつのる宵空に光やさしき十六夜の月


   多摩川残照       佐保田芳訓

高層のビル群に夏の日の照りて歩む歩道に反射熱あり
青年の骨髄移植うけしわれ命とりとめ甦りたり
会はざれば心離るといふ思ひ湧きてわが友いかに居りしか
コロナ禍に葬儀の出来ず四十年交り深き人を見送る
あり余る薬を日々に飲みをりて命つなぐといふ思ひわく
堰落ちて流れゆたけき多摩川のほとりに病ひ癒えて憩へる
多摩川の川のほとりに憩ふとき川面騒立ち吹く風の見ゆ
青天の月の光に照らされて咲ける桜の花影をゆく
多摩川に湧きたつ霧のけぶりゐて花の終りしアカシア寂し
ウイルスの感染せる世に耐へきれずわれの勤むる店舗閉鎖す
コロナ禍の羽田空港国際線台北に生れし女児を迎ふる
中天の月により添ふ星ありて共に輝き夜空うるほふ


   二〇二二(令和四)年五月号  


   戦後から        大野 悦子

父母の後ろにわれらが正座して玉音放送聞きたる八月
等分に羊羹切りゆく母囲む幼きわれらの戦後の姿
詩が良しと長崎の鐘子供らに教へし父を偲ぶ命日
新しき苗字の判を夫より貰ひ半世紀余実印となす
買ひ与へわが駅までに半分を読み切る孫を喜びし義父
銃声のとどろきしのち猟師四人山より鹿を重く運び来
わが庭の古木の柊棘消えて丸葉となりて冬日を返す
残されて広き旧家の部屋めぐりひとり小声に豆まきをする
火の始末忘れ物などわが失敗未然に防ぎて子らには言はず
前方に両毛三山の残雪が光りて芽吹きの山並みつづく
アクリル板はさみて姉と面会すあふるる話も時間に限らる
ワクチンの接種終はれば残生の夢はふたたびわが胸にわく


   ダムの村        高橋とき子

遠く来し佐藤佐太郎企画展生涯のうたこころに刻む
亡き夫かつて語りし先生の扇子のうたをしみじみと読む
闇ふかき青田に光る二つ三つ蛍と知りてをさな声あぐ
コロナ禍の休校なれど児童らの花壇にいまし盛るひまはり
寵もりゐてたまたま観たる西部劇思ほえずわが心ときめく
かすかなる風にしたがふ人参の葉を間引きつつにほひをまとふ
のらくろの原画に往時よみがへる戦時下兄の読みくれしもの
削られて米粒ほどのわが犬歯舌を当つるは慰撫にも似たり
ボレーミス一球にして負けし試合はるかなる日の記憶の宝
政争の焦点なりしダム建設三十年経て竣工ちかし
サツカー場十六個分とふこのダムの工事にかくも活気づく村
稼動する重機の音にしばしばも涼しくひびく春蟬のこゑ


   二〇二二(令和四)年四月号  


   家 居         戸田 佳子

坂道に色づく柿の実仰ぎつつ昨日の悔がよみがへりくる
コロナ禍に心張りなく部屋ごもる雨ふればその音を聞きつつ
わづらはしき北風やみて夕空に茜の雲がいくつもうかぶ
たちまちに若葉しげりて濃き影をしく花すぎし庭の辛夷は
今年はや半年すぎんおろそかに家居つづけて生日近し
たたきつける雷雨たちまちやみたればゆふべの庭にみんみん蟬なく
暑き日の暮れて十三夜の月あふぐ風なき空に光さやけし
猛暑の日つづきて庭の百日紅きのふも今日も晴ればれとさく
激しかる雷雨に朝空暗くなりわが家の前の街灯ともる
しろたへの木槿さきつぐ残暑にて今年も母の忌日近づく
父母の逝き二十年この日頃幼き日々をしきりに思ふ
八月よりあざやかにさく赤き薔薇次々開きわれは楽しむ


   焦 り       大友 圓吉 

足弱くなり行く不安に覚めをれば遠雷光り間を置き響む
実を付けし大葉を扱けばその匂指に残りて夕べ芳し
木蓮の枝切り終へて立ち見れば瘤立つ幹の上星光淡し
高枝を四五本切りしのみなるに四肢の痛みぬ去年には無きに
病むこともなくて朝なさな小一時間歩めることをひとり喜ぶ
鮭跳ねる姿彫りたる状差しは何時の旅のか朧となりぬ
残る時短き故の焦りかも居たたまれなくて部屋行き来する
老いてより交はり薄きわれなれば行く友もなく来る友もなし
師の色紙何処に深く仕舞ひしか折々探すも見つけ出だせず
肌寒く止むとも知らぬ雨降りて来る人もなく孟蘭盆過ぎゆく
かほどまで蟻踏み潰し極楽に行けなかろうよ蟻と言へども
ささやかに正月用意整へて妻と語らひ除夜の鐘待つ


   二〇二二(令和四)年三月号  


   雨 音       星野 彰

接種終へ待機のテントに黙しをり屋根打つ雨の音のひびきて
日の暮れてふたたび降りくる雨音の昼の雨よりさびしく聞こゆ
いまさらに父晩年の思ひこそ知りたしわれは父の歳過ぎ
みづからの内にをりふし兆し来る愁ひは人に言ふべくもなし
ことごとく花みな散りし川の辺の葉桜ひかるしづかなるとき
くれなづむ五月の窓に椋鳥の声が響けばにはかに暗し
春の風人なきホームに吹き過ぎて離れ行く電車の音ぞさびしき
噴水のまた吹き上るをしほどきに花なき夏の薔薇苑を出づ
十月の木漏れ日きよき園林のとほくにひびく寒蝉のこゑ
地下化され聞こゆるはずなき音を聞く半睡にして終電の音
花水木の花の終りし隣家はひと日しづけし主婦の病みゐて
古稀すぎてわれの内なるひ弱さを思ひ知りたり滅入るこの夜


  柿若葉       戸田 民子

元日に詣づる人のまばらなる社にまつりばやしのひびく
洗足の池にし群るるゆりかもめ一羽のとべばみな後を追ふ
部屋深くさす春の日はやはらかし写経しをれば睡くなりたり
あるなしの風に若葉のゆれやまず浄真寺なる参道ゆけば
あふれ咲く庭の水仙供へたる仏間にこもるかをりゆたけし
梅雨の雨降るに勢ふ柿若葉つかれしわれの心なぐさむ
濡れ縁に庭のうれ柿描きゐし夫を偲びつつ迎へ火を焚く
あまたなる銀杏の実の色づきて朝日に映ゆる参道をゆく
幾万のすすき穂風にゆれやまず丘のなだりを娘とゆけば
すみわたる秋空高し境内に人の影なく法師蝉鳴く
防護服まとひてひすがら迅速に看護つづくる入らたふとし
ステイホーム続けど家事のはかどらず庭の雑草日々に勢ふ


   二〇二二(令和四)年二月号  


   街路樹      杉本 康夫

この日頃妻の衰へまのあたり見てをりしかば言葉つつしむ
年々の申告終へて帰り来し家に一人の刻をゆかしむ
溝川に沿ひて生ひたる菜の花の黄の群落はひときはまぶし
老いたれば何かにつけて怠惰なる日々を送りし己を疎む
酒を断ちはや半年か思ほえば幾ばくかわれ軀の軽し
秋めきし日差しと思ふ街路樹の欅の影が歩道に長し
日々歩く道に欅の落葉踏むころとなりたり一年はやし
収穫を終へたる畑のさく切れば鍬の先にて小石のあたる
秋づきし光のなかに山茶花の花咲き出でて特に輝く
遠花火かすかに聞こえ曇日のけふ鮎釣りの解禁日らし
休耕の田に繁りたる雑草のなかより維の声が響けり
コロナ禍の集会なれば保つべき距離を意識し椅子並べゆく


   花 嫁      細貝 恵子

亡き母の作りくれたるわが着物はれのよき日に娘が着をり
婚約をしたる娘の細き指透きとほり光る指輪の似合ふ
潮干きしさんごの海の水底に春の日そそぎめかぶの揺るる
をりをりの波に離れて相寄れる烏賊のつがひを海にみまもる
晴れわたる岬にとほく見る森に雲を支へて雨柱たつ
純白の花嫁衣装の子の姿生れし日のたち思ひこみ上ぐ
幼きよりあまたの笑みをくれし子がほほ笑みて去る嫁ぐもとへと
続きたる猛暑の庭を打つ雷雨よろこぶごとく木草のうごく
盆すぎて御霊のかへりあふぐ空入日にかなとこ雲のかがやく
子規を偲び道後をゆけばあまた生るへちまに秋の日差こぼるる
杉山の連なる里のもみぢ日にひととき燃えてはやも日暮るる
休息に飲みたる紅茶低酸素の冷えゆく体うるほしめぐる


   玉虫色の鱗    鈴木 桂子

魚捌く甥らの靴にはりつきて玉虫色の鱗の光る
合併にて父の里の名失せしかど実り豊けき田畑変はらず
屈まりて萩の回遊行く孫らに花の散りくる光こぼれて
友の家に組まれし足場渡りゆく鳶職の影夕日に浮かぶ
杭のごと沼に佇む五位鷺のくはへし魚の一瞬光る
紅葉せる桂の落葉朝の雨にしるく香の立ち歩みの弾む
里山の林を抜け出で見る沼に鴨のひく水脈長く真白し
椋鳥の群れは風強き街を飛び橋くぐるあり橋越ゆるあり
おもむろに霧の消えゆく海渚浜菊の花の香の中歩む
防風林は視野を限りておのおのに巻きゐる蔦の紅葉冴ゆる
側溝に散り積もる落葉両の手に掬へばかすかにぬくもり伝ふ
片扉く穂芒の続くかたはらを蔵王仰ぎつつ墓参に向かふ


   奉書紙      鈴木 憲治

半年ほど乾燥させし桜材反りを直して木取りしなほす
御頭だけは木目が真つ直ぐ通るやうに位置を選びて観音木取る
雑音をさけて夜中に観音の顔を仕上ぐる障るものなく
二年越しの観音菩薩仕上がるも今しばらくは傍らに置く
仏師として仏刻みて五十年今年はじめて個展を開く
亡き夫の面影欲しと頼まれぬ守り本尊大日如来
亡き人に似せて刻むも仏にはほとけの顔のありて悩みぬ
仕上がりし大日如来像納めんと高島暦に良き日をさがす
弥陀仏の顔を鏡に映しみてかほの傾きたしかめ仕上ぐ
手暗がりにならぬやうにと座るむき僅かに変へる日射しにあはせ
日々わづか遅れる時計もわがリズム弥陀仏の顔ゆつくり刻む
大晦日は奉書紙敷ける道具箱に鏡餅かざる感謝を込めて



   二〇二二(令和四)年一月号  



  学位記       坂本 信子

服薬の減りしかすかなるよろこびに通院長き夫に付添ふ
残年をわれに頼りて生くる夫企業の戦士たりし日々あり
十五年通ふ病院にかつてなき緊張ただよひ人ら声なし
コロナウイルス身近に迫り早々と投薬のみに病院を出づ
稲熟るる棚田に残る夕光のさびしさ義兄の通夜に行く道
紅葉の前のしづけさ高千穂の山々夕日に神さびて見ゆ
不自由なる身にて就職活動をする孫いまだ内定ならず
瀬に並ぶ白鷺深みに潜る鵜らひたすらにして落鮎漁る
やうやくに寒気やはらぐ街川のうへに乱れて岩燕とぶ
車椅子の膝に学位記ささへ持つ孫よ辛苦の年月耐へて
健常のクラスメートと学びたる内なる孤独を孫のいま言ふ
幼子が重き障害負ふさだめ思ひて眠れぬ日々を過ごしき


  ひぐらし      佐々木 勉

弟を看取ると病院へけふもゆく生きて逢へるはあと幾日か
弟の逝きて初七日わがあゆむ渚草むらに浜茄子熟るる
ひぐらしの遠く聞こゆる夕暮れにひとり飯食ふ弟逝きて
こころ病む苦悩つづりし弟の遺品の日記見つつ涙す
手をやすめしばしばものを想ふなど弟の遺品の整理すすまず
初馬を西の方角に向き変へて新盆最後の夕暮れ寂か
波荒らぶ新盆明けの朝の海西方浄土へ手を合はすなり
むし暑き初秋の空にほのじろく浮かぶ孤独の昼の月あり
老い独り酒酌みをれば親しけれ畳にこほろぎ一つ鳴きそむ
悔い多き記憶のみ顕つ寂しさや七十九歳を省りみたれば
家族にておせち料理を楽しみし思ひ出はるか今独り老ゆ
歌詠めば老いの心のかく癒えて吹雪ける夜を眠らんとする


  職退きて      田丸 英敏

朝焼けの六月の空思ひ出づ父を看取りし日のはるかにて
母親に叱られて来し少年と夏の緑地を自転車に駆く
夏ふけて足袋の小鉤をかくるとき七十五歳のおのれ励ます
手縫ひよりはじめて久し幾万の畳縫ひしか世業を退く
畳積みていかはどの距離走りしかトラツク五台乗り換へて来つ
われと共に年重ねたる製畳機修理部品の今は無しとふ
仕事との係はる人を削除していよいよ携帯鳴ることもなし
多摩川に沿ひしこの道なし畑も梨売る小屋も少なくなりぬ
祭札の中止となりしこの年も社のめぐり葛の花咲く
いくたびも魚のごとくに屋上に出でてあぎとふ籠れる日々は
みづからの影を先立て歩きしが蛇崩の道日の暮れ早し
ワクチンの副反応のなきことは喜ふべきか老いたるゆゑか


  平 穏       村上 時子

城堀に渡り来し鴨らコロナ禍を知らず平穏に水浴びてゐる
池の辺に紅葉かがやく桜の木背もたれをしてしばらく憩ふ
一片の雲なき夜空に満月が高く孤独に輝きてをり
屠殺する牛の歩みの進まぬを憐れみをりし獣医の父は
軍用犬に召集されて明日は征く犬に焼肉食べさせし日よ
妹とわれの手を引き健やかに散歩をしたる父懐しむ
珈琲の香に包まれて出来るまで待つ間のたのし子と共に居て
志満先生のどうでもよけれといふ言葉何度もわれを慰めくるる
悲しみの和らぐならば酒のみて思ひきり心のうちを述べたし
島丘の墓参に来れば一面の蜜柑の花の香に包まるる
早春の日ざし輝くしまなみの海道ゆきて憂さを忘るる
こもり居のわれに歩道誌今日届き春日の部屋に楽しみて読む