新刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】




  鎌田和子歌集『凍道』の世界  樫井 礼子


 
鎌田和子氏の第三歌集『凍道』は、平成十九年から二十九年までの六百九首を収め、その齢ゆえ「多分もう歌集を出すことはないだろう」との言葉もあって、内容的にも相当に厚みがある。『氷湖』『雪原』に続くこの歌集も、厳しい北海道の格別な情景とその真価をつかみ、研ぎ澄まされた鋭い感受と自在な表現が軸を為している。底流にある深い思索から生み出される作品群は必見の世界である。
  融けかけてまた凍りたる粗き雪わが抱へゐる問題に似る
  雪道に転倒したるたまゆらに仰ぎし空よ悲しくあをし
  ひびき来る吹雪の音は人の世の濁りを持たずひたすらにして
  夜の海ひたすら進む船にして何か切なし人の行為は
  今日ひと日降りたる雪をねぎらふごと月の光が明るく差せり
 作者とその周りの人々の生き方を題材にした作品群は、人生の根本真理を把握するような歌風が魅力である。小題それぞれに主題のある小説にも似て、読み進めながら深い興趣を覚えた。殊に、老いの事実を客観し、孤独という怖ろしいものを見据えて昇華する歌境は、志満先生の世界をも彷彿とする。
  連れ立ちて行く先おほかた病院ぞ思ひみざりし今のうつつを
  われよりも年長の血縁をらざると思へば軽し今しばしの生
  みづからが動かねば家の中の空気動かず何といふ寂しさぞ
  突き詰めてもの思ふなど無くなりぬどうでもよきか大方の事
  風の音換気扇より響き来ぬ家寵もるわれを鼓舞するごとく
 哀切な素材ばかりでなく、諸処に豊かな感性から紡がれる粋美な作品は印象画風な趣を感じて瞠目した。
  バス降りし入らつぎつぎ傘ひらき小暗き空間埋められてゆく
  地下街を出でしところに交番ありわづかの土にいくつかの花
 この他にも、日常の中の詩情に惹かれる作品が枚挙に暇無く目をひく。
  あしたより色なき冬空暮れんとすわが拘りてゐるもの消えず
  今ひとつ感ずるなきは読む本にその因ありや已にありや
  吹雪くなかおして出るにもあらざるか書きし葉書を机上に置けり
 丹念にかつ平明に表現した歌の数々には、生きることの哀感、日常の濃やかな事象の中にある具体の儚さと大切さを示し、貴重な箴言となって読者の胸に届く。鎌田氏の真骨頂であろう。これらの作品群は、老いていく時間のなかの真理であり人生の深い境涯として、鋭い透視力による理知的な写生の歌と相まって魅力の歌集となっている。