やさしさと誠実さ
― 歌集『水郷』について ― 清宮紀子
江畑よし子さんは、江畑耕作さんの義妹である。江畑耕作さんと言えば「歩道」の古くからの会員であり、佐太郎先生が一ヵ月間入院された恵天堂医院の院長であり、江畑美術館の「佐藤佐太郎記念館」も経営しておられる方である。その方が歌集『水郷』の序歌を書かれている。
江畑よし子さんとは、言葉を交わす機会も少なく残念であるが、江畑耕作さんには、記念館を案内していただいたり、千葉県歌人クラブでもお世話になっているので、作者とも昔から親しくしていただいているような気持ちで『水郷』を読むことができた。
水郷の川面の水に蔵づくりの家並み映りて真
昼音なし
忠敬の晩年に成しし測量の簡素なる器具古里
に見つ
早場米地帯とぞ言ふ古里の見ゆる限りの青田
目に沁む
佐原の水郷を詠んだ歌である。小野川沿ひの両側は、江戸情緒あふれる古い町並が残っている。そして「伊能忠敬記念館」には、二首目に詠われている「測量の簡素なる器具」等が展示されている。
歌集『水郷』の表紙のカバー絵は、お孫さんの小早志理香さんが画いている。水色を基調としたさわやかな色彩が、なんとも言えない風情をかもし出している。
葦群も走る小舟も夕焼けて音なき利根の河原
くだる
柔らかに葦の芽萌ゆる利根川の水しづかにて
光る夕暮
憂ひなき空の青さよ大寒の水澄み透る利根川
に来つ
江畑耕作さんは、序文の中で(短歌作者への助言)を引用し次のように言っている。
「短歌に対する情熱を持続することが大切だが、それには同じ見方、同じ技法のくりかえしに安住しないで、自分の工夫というものを加えるのが良い。」と。前出の利根川の歌三首は、利根川の様子を正確に見たままを、素直に表現されていると思う。
停年を迎ふる朝の夫の背に春の霰はみだれつ
つ降る
病む夫に漲る力分けくれよ若竹そよぐ篁に立
つ
庭池に亡夫の孵化せし鯉泳ぐくれなゐの色か
すかに顕ちて
秋来れば鯉の競り市楽しみし亡き夫思ひ小千
谷を思ふ
亡くなられたご主人は、錦鯉を卵から孵化させると言う趣味を持っていたことがわかる。
秋が来れば鯉の競りを楽しみにし、錦鯉発生の地とも言われている新潟の小千谷まで出かけていったようだ。その夫をやさしく見守っている作者の姿が目に浮かぶ。庭池に泳ぐ鯉を朝に夕べに見ている作者の心情が、右の四首から思われる。
ひしひしとわれにまつはる淋しさの極みに仰
ぐ今宵の満月
憂ひ持つ心ほぐれんひな芥子の花びら初夏の
風に遊びて
きしきしと霜踏みてゆく今朝の庭春の息吹が
身に透りくる
やさしさと誠実さに満ちた作品の中にあって右の三首は作者の心の内が素直に表現されている。江畑よし子さんにますます親しみを覚え繰り返し読んだ歌集『水郷』である。