刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】


  香川哲三歌集『淡き光』  波克彦


 歌集『淡き光』は香川哲三氏の第三歌集であり、第一歌集『島韻』、第二歌集『赤雲』につづき作品六百十二首を収めてなり、一淡き光、二極南の風―初冬ニュージーランド、三 八十八寺巡礼の三部からなる。第一部は、作者が長年勤務した広島県庁を退職し、農林業団体に勤務したころの作品が中心となっている。第二部は、歌材を求めてニュージーランドヘの短歌の旅に参加して生まれた作品群、第三部は、県庁を退職するまでの足かけ七年間に四国の八十八箇寺を巡礼して成した作品群からなる。
 作者は、父香川末光氏と叔父香川美人氏に従い佐藤佐太郎先生に師事し、佐太郎先生没後は佐藤志満主宰に、そして志満主宰没後は秋葉四郎氏に師事して純粋短歌の道をまっしぐらに突き進んできた。すなわち作者の生活は歌道あっての生活であった。予断を廃して全巻を一読したが、その穏やかな作風は何よりも声調に傾注した作品が重きをなして一巻が構成されており、その真摯な作風に頭を垂れる。歌は人間を表すが本歌集により作者の実直無垢な人柄が赤裸々となっている。
  なく鳥もかぜも聞こえぬ山のみち霽れし時雨の名残ただよふ
  人垣のなかを送られ出でて来つ三十五年のときは漠々
  放棄されし蜜柑畑はいづこにも白き空木の花さき盛る
  樟並木つづく川辺に夏光を浴び立つドーム風絶えはてて
  まのあたり金融不安おほひゆくこの現世(うつしよ)に息ひそめ生く
  島いくつ越えて夜ふけし高速路ひた走りゆく病む母のせて
  をりをりに目を開け母は何おもふ冬晴天の光さす部屋
  剪定を終へて段畑くだりゆく雪雲とほく輝くゆふべ
  日をかへすビルも炎暑の鋪道(いしみち)も現にとはし亡きを思へば
  月々のみ歌尊み声を聞くごとく待ちにき遠くいませば
  島の丘おほへる淡き光あり過ぎし(いのち)を偲び立てれば
 以上のように深い共感を覚える作品は枚挙にいとまがない。
 第二部の作品群は、作者が初めて本格的な短歌の旅に参加して対象を凝視し意欲的に作歌に努めた証となっている。
  広き原めぐりつつゐて病める人看とる人とほく面影に顕つ
  街おほふ雲に朝焼けひろがりて歩む海辺の舗道赤し
  草原につづくポプラの高き幹くれなゐ淡く朝日に染まる
 第三部の八十八寺巡礼は圧巻である。それぞれの寺に何を見、何を感じるか、時には題材選びに困難を伴ったであろうがそれを見事に克服して一連二百二十七首の大作を成している。このことからも作者が短歌以外にも心のひとつの拠り所を求めて真剣に巡礼の旅をしたことが窺われる。
  海よりの風にさわだつ樟の木の音たえまなし寺の何処も
  参拝の人たえはてし午後一時の寺の砂庭炎暑にゆらぐ
  さへぎりのなき屋島寺は昼ふけにして天も地もただにまぶしき
 香川氏の作品が如何に読者に心の安らぎと深い感銘を与えるものかは抄出した作品からも自明である。今後一層の歌境の進展が期待される。