歌集『春螢』読後 香川哲三
佐保田芳訓氏の第三歌集「春蛍」には、昭和六十二年から平成十五年までの作品五百三十一首が収められている。歌集名は佐太郎先生と共に訪ねた中国での作「恵州の西湖のほとり春ながら
歌集冒頭の「先生逝去」に次のような一首がある。
み棺をさきだてゆかん蟬の鳴く蛇崩の道悲し
みの時
佐太郎先生葬送の厳粛を伝えて心にしみとおるような哀韻があり、私は泪を拭った。
死を予感せしやいくたびもそれとなくわれに
遺言せし友あはれ
早逝した室積純夫氏を詠じた作である。佐保田氏と室積氏は様々に心を通わせる友人同士であった。友を悼み、追懐する作はどれも切実であり、人の心を深く打つものがある。
紅葉せる朱き奥多摩の山々にふる雪午後の視
界をとざす
零細の企業といひて憐れまん人去りゆきて人
すぐに来ず
カーテンの生地の表裏を確かむる金糸美しき
時のやすけさ
福生市の住まいと仕事場は多摩川上流に近く、その背後には山々が望めるようだ。生業を対象とした作も、折々に立ち望んできたであろう周囲の光景も、ことごとく氏の境涯を反映しており味わい尽きない。
残業に疲れ帰りし妻ひとり食事をとるにわが
所在なし
リストラに遇ひたる妻と不況にて苦しむわれ
と壮年過ぎん
勤務のため多忙な毎日を送っていた奥さんは、やがて会社倒産により職を失う。そうした厳しい現実を端的に詠じたこれらの作品には、夫と妻こもごもの生が表わされており、夫妻の深い仲らいを軸とした境涯の声がある。
年老いし母を亡くしし妻とわれ残されし互み
の父を語らふ
かすかなる意識に生きて四箇月
り逝きたり
佐保田夫妻には、それぞれに高齢のご両親があって、本歌集の作品が綴られた十六年余りの間に、母、義父、義母と永訣の時をむかえる。これらの作品は、是非もない歳月の移ろいと別れの寂しさを伝えて重い詠嘆がある。
日没の名残悲哀の如くにてシベリアの地平ひ
とすぢ朱し
蟬が鳴き海猫の鳴く声きこえ神威岬の霧のな
かゆく
八甲田の雪山に日の入りしのち津軽海峡夕映
となる
国内国外に旅行した際の作品も充実したものが多く、目を瞠った。堂々と眼前の光景が詠われており、しかも作者の感情が込められているから、何れも対象が生動している。
ビル街にとどろき聞こゆ
ん夕焼の雲
アメリカが機軸となりし世界観当然のごと人
思ふらし
都市の景観を詠じた作は、第一歌集『青天』以来のものだが、愈々重みを増している。二首目の作なども、今の時代に通じる内容で説得力がある。現実の重さを日々感じながら成されたであろう『春蛍』の作品には、佐保田さんのひたすらな姿が彫琢されており、先師の「言葉に境涯の影あり、影に境涯の声ある如くせよ」の世界が広がっている。