細貝恵子歌集『虹の環』 樫井礼子
若いときに自ら佐藤佐太郎家の門をたたき短歌の世界に導かれた細貝さんの第一歌集『虹の環』は、昭和六十三年から平成二十五年までの半生の軌跡とも言える六八九首を納める。
前半の作品には、三人の子供だちと両親を詠ったものが多く、その豊かな情愛の世界に浸ることができる。
世に出でてこゑ上げて泣く子を見つめ母なる
われも声の出で泣く
わが胸に遊び疲れて眠る子の髪に残れる
の匂ひ
をさな子は自ら励ます
を楽しく登る
みどり児ののどもと過ぎるわが乳の音を聞き
をり静けき夜明け
幼子の手より離れてあきあかね夕焼け空のむ
れと交はる
子を見守る温かな眼差しと濃やかな観察眼とが相まって印象深く、胸を打つ作品の枚挙にいとまがない。母としての実感も淳朴で率直な表現に好感がわく。子の周辺の情景描写には静かな詠嘆があり、生来の豊かな感受性と表出力を感じる。「自ら励ます術持ちて」のように発見のある作品も魅力である。これらの作品のあいだをぬって「わが庭に棲みゐる
ご両親への挽歌もひときわ心を打つ。
父眠る柩はわれを隔てたり油蟬の声ひた降り
かかる
亡き母のミシンの上に置かれあり縫ひ終へし
わが幼のズボン
油蟬や幼のズボンという具体が悲しみの象徴となり哀悼の思いが深く伝わってくる。
平成十九年の辺りから、自然を詠む作品にいちだんと深みが増しているように思える。旅や登山の歌が多く、多種多様のものを見、それぞれに対する視点は常に新鮮で感受が清らかである。
霧移る雁坂峠ブロツケンの虹の環のなかわが
影うごく
風さわぐ湿原ゆけば茫々と心は
ごとし
シユリーマンの夢掘り当てし地層見え煉瓦の
隙に草の息づく
原始なる地殻の割れて岩粗し地球のギヤウを
歩みてゆけば
フルージルの街空わたりオーロラは緑の帯に
て光波打つ
一首目は初期の歌で歌集の題となる貴重な邂逅の作品である。歌集全般にわたって、自然を把握する根本に清純な心の存在がある。気取りのない表現には却って清澄なとらえ方と潔さを感ずる。真っ直ぐな歌い方の作品を前にするとこんなにも読者の心も素直になるものかと実感する。
然し単に清らかな世界のみではない。情景の奥にある真実を鋭く切り取って深い抒情にあふれる作品も多い。
日本海に注ぐ河口はおほどかに海の迎ふるご
とき静けさ
静寂のフオノ・ロマーノに残るもの崩れしも
のの美しく建つ
住いものをたくさん見て、その恵まれた環境を価値あるものに昇華するという生き方がこの一冊に溢れている。純粋な表白とともに、読む者に感動を与える所以だろう。