刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】



  樫井礼子歌集『ダイヤモンドダスト』   波 克彦


 歌集『ダイヤモンドダスト』は樫井礼子さんの第二歌集であり、第一歌集『川風』を上梓してから二十年間、平成六年から二十五年までの作品六百五十八首を収めてなる。作者の三十九歳から五十八歳という、人生の中期のまさに激動の時期の作品集である。実際、この二十年間は作者にとって試練の連続であった。後記に作者自らが記しているように、この間に短歌への関心を開いてくれた父が死去したこと、更年期障害や軽度の鬱症状から教職の早期退職に至ったこと、夫や母の病気等が作者にとって大きな出来事であり、それらの事象に純粋短歌の飽くなき追究の眼をもって作歌に励んだ結晶がこの一冊に明らかにされている。
 本歌集の作品が作られた前半の十年間(平成六年から十五年)までの作品が二百十七首であるのに対し、後半十年(平成十六年から二十五年)が四百四十一首と前半の倍の数の作品が収載されていることから見ても、積極的に対象を観、徹底した見方のもとに切実に詠嘆しようと努める意思を持ってこの二十年間、特に後半にその意思が強く持たれたことが表れている。前述の大きな出来事にかかわる歌も多いが、それらの出来事を超越して、日常の生活とその周辺に目を向けた作品(第一群)が本集の作品の半数を占め圧倒的に多い。特に、教職を辞し、二十五年離れていた故郷に移居してから六年間の新たな生活環境と周辺の矚目の歌が第一群作品の半分(全体の四分の一)にのぼり、移居後作者が人生の一区切りとして新たな生活に踏み出したと同時に、精神的にも改めて作歌に注力するようになったことを物語っている。次いで国内外や故郷への旅にかかわる作品(第二群)が二割を占める。作者にとっては、これらの矚目(第一第二群)に目を注ぎ作歌に心を砕くことにより厳しい現実に日々対処する自らの慰籍としたのではないか。
 日常の生活とその周辺(第一群)にかかわる秀でた作品を数首に限って抄出する。
  家ちかく高らかに嗚く鶏のゐて寒ゆるむ夜は
  その声ながし
  金属のごとき光を放ちゐる鰯盛り上げトラッ
  クが行く
  三十五年経て故郷に移り住む冷気の満つる街
  は変りて
  つつましき朱の光が(つばくろ)の頂上に差し朝のはじ
  まる
  ダイヤモンドダスト方向の定まらずせはしく
  光るわが家のめぐり
  照り陰りする山のまへ揺れて飛ぶ白鳥の群を
  りをり光る
  わが家の柿の若葉に日のもれて蝕のかたちは
  壁にするどし
  潮けぶる屏風ケ浦の夕海の沖に発電風車がま
  はる
 また、旅に歌材を得た優れた作品(第二群)を次に抄出する。
  故郷の電車に乗れば駅の名も車窓もなべてわ
  れを慰む
  わが死後のごとき心に三十五年前に住みたる
  村を巡れる
  暮れ果つる狭き運河をなほ黒きゴンドラ帰る
  小さき灯揺れて
  やうやくに心放たれ母と見る並木のポプラ輝きやまず
 転じて、父母子夫を深い眼差で見つめた作品群(第三群)も本集作品の二割を占め、作者の深い家族愛が本集を一層情深いものにしている。
  やうやくに子の癒えゆくかやはらかに屋根に
  音して雨の降る夜半
  今ごろは送りし魚食ひゐんか今宵もとほき父
  母おもふ
  登校せぬ子と現役を退くわれと話題なきまま
  昼餉に対ふ
  この家のいづこにも父の面影のたちて遺品を
  ふたたび仕まふ
  子を思い父や母を想う心が痛々しく誠に切実である。
 また、職場や自己を見つめる作品(第四群)にも心打たれる作品が多い。
  目覚めつつ今日の職務に奮ひたつかくしてわ
  れの盛期過ぎんか
  おほどかに生きたしと思ふ現身は無断欠勤の
  夢にをののく
  心足る勤ならねど果すべき仕事多きを慰めと
  する
  日曜に居眠りしたる夢の内おろおろ仕事の続
  きしてをり
  意欲増すといふ薬をぞ飲みしわれ職場に眩暈
  しつつ働く
 本集は説明を要しないほどに、独自の眼差でものを観、鮮明な描写による作品の集合体であり、極めて内容の充実した歌集である。
 




1