刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】


歌集『朝の道』


  ― 新しい感性 ―

                    

                        
香川哲三




 『朝の道』は巽谷一夫氏の第一歌集であり、平成十六年より三十一年までの作品が収められている。水色を基調とした爽やかな装幀、作者の日常を投影した簡潔な歌集名が印象深い。後期には、長年勤務していた商社を退職した後に作歌を志し、短歌関係の書籍を手当たり次第に読んでゆく中で、佐藤佐太郎の作品に共感して「歩道」に入会したとある。
 私が氏を知ったのは「歩道」のホームページを通して入会申し込みがあった平成二十年だった。その頃より変ることのない氏への印象は、短歌への熱意と作歌姿勢の確かさに要約されるが、今回、歌集後記を読んで、その所以を改めて自得したのであった。そして、こうした氏の情熱と作歌態度はそのまま、特色ある詠風の源になっている。
 結論から述べれば『朝の道』は、難なく国境を越えて活動する巽谷氏の、新しい感性が存分に刻まれた一巻と言えるだろう。取分け注意を引くのが、在住の地、故郷、国内・国外など、様々な地での作品が、自らの生活圏のごとく自然に繋がりながら展開していることにある。日常詠とか旅行詠などといった類型区分は、本歌集ではあまり意味をなさない。終始、作者自身の息の緒の中に様々な素材が詠じられており、作者の持つエネルギーが言葉の力となって、一首一首を生動させている。
  平日にノーネクタイの違和感がいまだに消えず歳晩となる
  天覧の故里の杉いまもなほ樹齢二千年の緑をたもつ
 作歌初期の作品から二首引いたが、既に声調の確かなこのような作品が続いていて、一読注目した。
  公民権に目覚めし吾は二十歳ニユーオリンズの蒸し暑き夏
  冬の朝群なし岸にうづくまる鴨の(まなこ)はみな光持つ
  暮れ方の人なき墓地に月のぼり健やかなりしわが子偲ばす
  新宿の高層街に朱のたち群青の空明けゆかんとす
  金環蝕極まれるとき迫りつつヘリコプターの爆音ひびく
  夏草のしげる峠を越えゆけば娘嫁ぎし出羽の国なり
以上は集中前半から引いた。過去を詠じても今を詠じても、自ずからなる境涯の反映があって、読み手の心の奥ふかくにまで届く内容がある。また、二首目・四首目など、把握の確かさが光っているだろう。
  真横より機内に差し入る西日あび山並み白きアルプスを越ゆ
  草も木も絶えし荒れ地のはるか先ハレマウマウの噴煙昇る
  美しき一語求めて悩みをり「工夫は詩外に在り」といふとも
  ふるさとの蟹をさかなに飲む酒はバブルのなごりボージヨレヌーボ
  いくつもの水溜りに雨のしぶきたつ光が丘の梅雨入りの朝
  わが(くりや)にローズマリーの香りたちオージー・ビーフを焼く秋の夕
 以上、歌集半ばあたりから引いた一連の作品には、本著の特色が遺憾なく発揮されている。海外で成された一・二首目など観相が自然である上に言葉が順直で、作者の視線さながらの写象が、読者の心にくっきりと立ち上がってくる。翻って四・六首目などでは、日常の中に海外の空気が取り込まれていて、私などはひどく感心するのである。三首目には作歌に対する氏の熱意が垣間見られるし、作者現住の地を詠じた五首目なども実に自然な味わいがある。
  八月の日差しにガールマグノリア咲く今日妻と吾の生日
  なぎわたる入江の奥の低丘に霧たちのぼるケアンズの朝
  見晴らせば空の果てまで起伏して青くかすめるユーカリの森
  肺気腫をながく患ひ義弟逝く酸素ボンベが傍らのまま
  未来への立国の理念次の世に見届けしづかに逝かんと願ふ
  平成のわが三十年尽きんとすさくら前線青森あたり
 以上、歌集後半から引いた。何時の頃だったか、 作者から、奥さんと共にしばらく豪州に滞在するというメールが届いて驚いたことがあった。行動範囲も実践力も私などの発想を超えている。その豪州での作品が二・三首目で、のびやかな響きの中に貴重な体験が刻まれている。一首目など夫妻の仲らいがさりげなく表現されているのだが、ここにも祖国を超えた感性が働いている。集中には、母、弟、友人などとの永訣が詠われた作品があるが、どれも心打たれるものだった。五・六首目、取分け六首目などには作歌十六年間の成果が凝縮されている。退職後の日々を如何に充実して過ごすか、その見事な実践が生みだした注目すべき一巻である。