歌集『山桜』を読む 上野千里
多田隈松枝さんの歌集『山桜』は第二歌集であり、平成二十一年から二十九年までの四百四十五首が収められた。
寺庭の静まる廊に回忌終へ夫の知らざる生を歩みつ
椎の実を手種にしつつ在りし日の夫を偲ぶ午後のひととき
恋しくばここに来よとぞ畑隅に夫の植ゑしあけび花さく
十五歳の少女は父にあらがふか胸の内語りさばさば帰る
むらさきのあけびの花に東風の吹きて揺れをり父母恋し
歌集の全般にわたってご主人の挽歌の詠嘆があり亡きご両親をしのび、お孫さんの成長を喜び、その他にも子供家族や、姉妹そして囲りの人達との関わりが丁寧に詠まれている。
植ゑ終へて三百本の玉葱に降り来る雨を安らぎて聞く
船底に波のうねりを感じつつ仏ケ浦の奇岩を仰ぐ
原発の不安かかへてゆく畑にクリスマスローズ花あまた咲く
目覚めゐて深夜の闇を恐るればシヨパン聞きつつ眠らんとする
らふそくの火に近づけて線香に火の移る間に過去蘇る
畑すみの郁子の葉陰に抱卵の鳩のするどき目にたぢろぎぬ
樹皮のみの百年の桜に寄り添ひて昔語りを聴くごとくゐき
生き生きと野菜を作り収穫の喜びを得る。旅先での見たもの感じたものを鮮やかに詠い、日常生活では捉えるべきを捉えて詠われている。後記にもあるように「ありのままを見て見えないものを見る」との佐太郎先生の教えをしっかりと受けとめているからこそ出来る歌と敬服する。
日暮れどき人によりかかりたく思ふなど気弱くなりつ病を持てば
輸血して重くなりし身さまよへる夢にアイリス咲く畑を見き
目を患い肩腰の痛み、手術等に耐え前向きな中にもこまやかな心の動きが読みとれる。
夕冷えにうすくれなゐの山桜見る人もなく山かげに咲く
歌集名になった『山桜』はこの歌によるもので「花はあるままに咲いて散って行く。その事に思いを寄せた作です」と後記にある。作者もまた人との関わりかたや土に親しみ、草花を愛で、動物や鳥、小さい昆虫に寄せる心は清らかに静かに咲く山桜に似ている気がする。拝読して気持ちが満たされる一巻である。作者のますますのご活躍を願っております。