平成二十九年八月号
かりそめに手形をとれば年老いて手に力なし
瑞祥はなし (黄月)
明治四十二年生まれの作者は、昭和六十二年十一月十三日、病み衰えながらも、七十七歳、俗にいう喜寿を迎えた。人のすすめで、記念に朱の印泥に手を染めて大きい判の色紙に、手形を残した。よく相撲の力士などがする手形である。
この歌はその稀有な行為を、年を取ってしまって、手に力がないし、、めでたいなどというよろこびもない、という感慨として詠われている。読む者の胸に突き刺さってくる響きのある作である。
この歌は、大判の色紙に朱の手形が押され、作者のいくばく筆力の衰えた賛がされて、残っている。
それから九か月後の生涯であった。
平成二十九年七月号
人ゐるを外より見れば一日だに家に居りたし
病みながらふも (黄月)
外の散歩などから家に帰り着いた感慨である。かつて
わが家に帰り着きたる安心を昨日も今日も庭
にわが言ふ (H60)
があったが、事態はより深刻となって、家族のいる家をたまたま外から客観して、その存在を強く感じ、どんなに病が重くなってもこの家に過ごしたいものだと強い詠嘆になっている。「一日だに家に居りたし」という老い衰えた人の実感は一読胸に追ってくる。
今私は、作者の生年を越えて三年になる。この頃の先生の衰えは想像を越えるもので、ある時から一気に弱られた。それを思うと慟哭なしには読めない作の一つである。
平成二十九年六月号
夜更けて寂しけれども時により唄ふがごとき
長き風音 (黄月)
昭和六十一年、夏が更け初秋のころの作。この歌の前に
家出づることまれとなり聞こえくる常なるも
のの音の親しさ
の一首があるように、いよいよ散歩もままならなくなり、臥床が多くなったころの作である。夜が更けてさびしさは一層増すが、時々長く吹く風が人の唄声のごとく聞こえて、心にひびくのである。風音が寂しさをいやすというような感情ではなく、夜更けて長く吹きわたる風の実相を捉えている。衰老という境涯だから感じ得た詩情である。
このころの作には
外歩むこと無くなりてなつかしむかつて強ふ
るごと歩みしをとめ
窓ちかく鴉の声のきこえしを時の感じなく春
かと思ふ
など一読心に沁む歌がある。
平成二十九年五月号
運動のために玄関に転ぶなどいよいよ老いて
能力のなし (黄月)
斎藤茂吉の晩年の作にも
真実の限りといひて報告す家の中にて折折倒る (つきかげ)
という作があったが、老境の現実として、門人佐藤佐太郎の身の上にも容赦なく衰えが降りかかってきているところ。このころ日々努力して散歩を欠かさなかったが、その運動のために出掛けようとして、玄関で転ぶのである。茂吉の「倒る」も佐太郎の「転ぶ」も老いた人の究極の真実というものである。
歌人は自身を見つめ続けるから、こういう作が残るのでもある。冗談に人が家にいて倒れたり、転んだりすると先がない、などを語ったりしたが、茂吉はその二年後、佐太郎はその翌年、世を去っている。
平成二十九年四月号
満天星のもみぢうつくしき年の暮老人なれば
日を惜しむなし (黄月)
いよいよ晩年となってからの一首である。身近な美しいものが点景となることが多くなる。時間にあまり制約されずに観察ができる境涯であるからであり、それは、一方からすれば、やがて見ることが出来なくなる宿命にあることでもある。
この歌でも満天星つつつじは観賞用の庭木で、最も美しいのは紅葉である。春の、若葉と共に壺状のやや黄ばんだ白色の花をたくさんつけるのも悪くはないが、秋の後半、その年は暮れまで、黄の部分を交えての真紅の葉は見事で「満天星のもみぢうつくしき年の暮」はそれを見事に言い当てている。そして、老人だから、追われる仕事もなく、そうした美しさに浸っていることもできる。もちろん「老人なれば日を惜しむなし」は、目先の「満天星」の美しさだけではない。老人ゆえにすべての事にじっくりと味わい深く向かうことが出来る。いわば老境の真実の発見という箴言のような響きが下の句にはある。
「満天星」は広辞苑では「どうだんつつじ」の意味だが、ここでは「どうだんのもみぢ」と続き、「つつじ」を省略して声調を整えている。
平成二十九年三月号
むらさきの彗星光る空ありと知りて帰るもゆ
たかならずや (黄月)
昭和六十一年(1986)二月九日に最も接近したハレー彗星を歌にしている。この歌は前年昭和六十年の十一月歌会に
彗星の尾の見え難き夕空の下を帰るも楽しか
らずや
という形で出詠された。この初出の作と掲出の作とを比べてみると、歌の推敲がどうあるべきか、悟るところは大きいのではあるまいか。「彗星の尾」は実際に見えず、必ず見えるとも限らないことであるから不徹底ということになる。いずれにしても、作者は実際に見ていない彗星を「むらさきの彗星」と歌い、そういう空があると思うだけで、「ゆたかならずや」と言っている。作品にするいわば「角度」が非凡である。
実はこの時のハレー彗星は、専門家の観測史上でも最も観測し難いものであったというから、佐太郎のこの歌は極めて実際に即している歌とも言える。茂吉には明治四十三年のハレー彗星を詠った作がある。
うつくしく瞬きてゐる星ぞらに三尺(みさか)
ほどなるははき星をり (赤光)
つまり、七十六年前は一メートル近い尾を引く彗星が肉眼で見えていたのである。佐太郎が生まれて一年後の空である。
平成二十九年二月号
葉をもるる夕日の光近づきて金木犀の散る花
となる (黄月)
昭和六十年「金木犀」一連に
秋晴の一日のうちに萩の花終りむらさきの花
あまた散る
晴れし日の白き蝶とぶ道ゆきて音なく動くも
のをよろこぶ
などの作と共にある。
行動範囲が狭まって、家近くの遊歩道での矚目。繁る葉から夕日の光が漏れているさまを凝視していると、やがてその光は地に届く金木犀の散る花であるのだ。「夕日の光近づきて」も鮮やかであり、それが「金木犀の散る花」だと時の経過を言って、その光景を見事にイメージさせる。そしていかにも金木犀の感じを伝え、その香りさえ思わせる。自註して「私の将来の歌を考える上で一つの目標になっていい」と言っているが新境地で、追従をゆるさない作である。
こうして、金木犀に別れ、むらさきの萩の花に別れ、晴天とぶ蝶にもわかれて行くのが晩年というものであろうか。
平成二十九年一月号
けさゆりし地震をおもふさながらに家の重さ
の沈みゆく音 (黄月)
同じく昭和六十年「蟬のこゑ」一連にある。朝あった地震を振り返って思っているところ。家の重さによってそのまま沈んで行ってしまうような感じの音だった、という。縦揺れを伴いドンという短い鋭い音を伴う地震の特色が言い当てられている。
このあたりは最晩年の作となるが、少しも老いを感じさせず、佐太郎短歌の鋭さ、的確さが響いて、共感がしみじみと湧いてくる。地震を言って「家の重さの沈みゆく音」は他に例を見ない表現である。
この一連には他に
住む人の無き家ひとつ道のべにいつよりかあ
りわれの気づけば
夕ちかき四時家いでて道をゆく樹に鳴く蟬の
残るころはひ
などがある。みな見るべきを見、捉えるべきを捉えている。
平成二十八年十二月号
道のべのはぐさのたぐひいつ知らず道をせば
めて人にさやらふ (黄月)
昭和六十年「蟬のこゑ」一連の最初の一首。「はぐさ」は、普通の葉草ではなく、「莠」で人に障(さや)り易いえのころ草の類である。一年前の作
家いでて道のちから草穂の伸びて残暑を垂る
るところひそけし (S59『黄月』)
と詠った「ちから草」もえのころ草に似て人の歩みに障る。そうした草が知らず知らずのうちに殖えて道を狭め、老境の作者らの歩みに支障をもたらす、というのである。いよいよ衰え歩みがおぼつかなくなった時、道べの草が作者にこんな感慨を抱かせたのでもある。
なお、結句の「さやらふ」は普通の辞典には出てこない。しかし、茂吉の歌には多くの用例のある語で、こういうところに自然に使われているのも私には親しい。「わが船に
平成二十八年十一月号
宵降りし大雨のなごり夜更けて棟しづむごと
き音のきこゆる (黄月)
昭和六十年「半歳」と題する一連にある。早くも半年が過ぎ梅雨の頃だから、大雨も降るのである。宵の口に激しい雨があって、そのなごりで夜半に豪雨となる。その状態、音が「棟しづむ」ようだと言って、特殊であり、読者に強く伝わるものがある。二階が寝室だったから、激しく迫ってくるように大雨は家を覆って容赦なく降り、その音だけがあたりを占める。「棟しづむ音」にはその潔さを客観してその音のもたらす世界に浸っている感じがあるだろう。つまりある宵の生活感情であり、老境の叡智として、その音を聞き、言い表して味わい深い生の断片としているのである。
若くして
暁の降るさみだれやわが家はおもても裏も雨
の音ぞする (しろたへ)
と詠って、今この歌がある。「おもても裏も雨の音」の把握が更に進化して「棟しづむごとき音」である。
平成二十八年十月号