短歌の作り方  作歌上の注意  佐太郎歌論抄  作歌Q&A  仮名づかひ

 【その一】    
作歌Q&A(「歩道」平成十三年三月号)
(Q)
   眼前に有馬富士見ゆ花山院菩提寺はただ
   静寂のなか
といふ歌を送つたら
   眼前に有馬富士見ゆ花山院わが菩提寺は
   静寂のなか
と添削されたが、「花山院菩提寺」は西国三十三ケ所の番外寺で花山院法皇をおまつりした法皇の菩提寺、私の菩提寺ではないので、添削をどう読み取ればよいか、教へてください。
(A)
 作者と添削者の経験の違ひから生じた誤りで、本当なら「花山院の菩提寺」と「の」を補へば、作者の意図どほりといふことになつたでありませう。さう正して保存いただきたいと思ひます。添削者は、花山院といふ所に作者の菩提寺があると理解したので、その方が一首の歌の世界が強くなりますから、この添削になつたのであります。歌は自分との関係が深い対象であるとき生きますし、もともと「菩提寺」は「一家が代々帰依して葬式・追善供養などを営む寺」(広辞苑)とありますやうに、添削者が当然作者の菩提寺と思つたのもうなづけるのであります。「花山院の菩提寺」といへば少しも間違つて居りませんが、「花山院菩提寺」といつたところに誤解の元がありました。なほ、「花山院の菩提寺」と言へば正確な表現ではありますが、ただそれだけのことになつて、作者との関係が薄くなりますから、作品としてはやや平凡なものになります。(秋葉四郎)


 【その二】
作歌Q&A(「歩道」平成十三年九月号)  
(Q)
「歩道」四月号の
   幼より覚えて五臓に染みわたるこの乾菜汁に
   母の顕ちくる
の結句「顕ちくる」は、「来」はカ変なので、終止形「顕ちく」にすべきではないでせうか。

(A)
 基本的にそのとほりであり、われわれは努めて正しい文法に従つて「顕ちく」で終止できるやうにすべきであります。
 後はどこまで許容されるかと言ふ問題でありますが、佐藤佐太郎先生の『短歌作者への助言』の「文法」でも取り上げて居りますやうに「言葉の感情に従つて自然」であれば結果的に文法に合ふはずで、その場合許容されると言ふことであります。先生の言つて居りますことを要約すると次のやうになります。先生作の
   衝撃のひとつ悔のわくこともありてくるべ
   きねむりをぞ待つ
   栗の花おぼろに見ゆる月夜にて翅音のなき
   蝶もくるべし
などの「クル・ベキ」は「ク・ベキ」が文法的には正しいがそれを承知で「くるべき」とし、「くるべし」としてゐるといふこと。更に茂吉の同様の例を挙げて「『くる』『おつる』は文法的には連体形であるが、『く』の下、『おつ』の下に『る』が接続して却つておちつく言葉である。こういうのを一種の終止形として説明することが出来ないものだろうか。」そして「御座りまする」など「る」は言葉の終はりに着きたがる傾向を持つてゐるとも言つて居ります。
 実作上は文法が先にあるのではなく、ひたすらに作者が訴へる作品が先行すべきで、「言葉の感情に従つて自然」に表現すれば文法は後からついてくると考へてゐるのであります。しかし、質問の一首は内容は良いとして、表現全体の緊密さの点から推敲の余地があり、結句は殊に安易だといふことになります。(秋葉四郎)


 【その三】
作歌Q&A(「歩道」平成十五年十月号)  
(Q)
   杖をつき子に支へられ投票を済ましし老の
   会釈爽やか
@原稿は「済ませし」と思ひます。「済ませる」の文語「済ます」の活用は他動詞下一段 「せ せ す するすれ せよ」であり過去の助動詞「き」の連体形「し」を付けて過去を回想し後文の「老」に繋げたつもりです。
A又、「済ます」の他動詞四段活用としても「さ し す する すれ せよ」の連用形「済まし」となり、これに過去の助動詞「き」の連体形「し」を繋げ「済ましし」となる訳ですが、この場合は、サ変動詞「す」の活用「せ し す……の未然形「せ」に付けて用ひて「しし」と続く音韻の不自然さを避けるのではないでせうか。(飯塚書店 短歌入門 一一六ページ参考)
 尚、同様に
  三日三晩干したる梅は亡き母の為ししが如く
  塩ふき出でつ
にもあり、これも前項Aサ変動詞「す」の活用であり「為せし」となるのが自然ではないでせうか。

(A)
 「落とす」「話す」などのサ行の四段活用の動詞に、回想の助動詞「き」が下に来るときには「落としき」「話しき」であり、その連体形(名詞などに接続する場合)は助動詞「き」の連体形「し」がついて「落としし(とき)」「話しし(とき)」となるのが原則である。サ行の変格活用「す」の場合は「せし(とき)」となる。名詞十「す」によつて出来るサ変の動詞は多く、たとへば「疎開す」「愛す」などたいへんな数になる。サ変の動詞になつてゐるから「疎開せし(とき)」「愛せし(とき)」などとするのが正しく「疎開しし」「愛しし」は誤りである。
 さて、質問の先の件はやややつかいで、御指摘の通り、活用が四段と下二段との二通りある例で、多くの文法書では「済ませし」「済ましし」のどちらを使つても許容されてゐる。しかし、
   朝飯あさいひをすまししのちに臥所ふしどにてまた眠りけ
   りものも言はずに   斎藤茂吉『つきかげ』
 などの用例を知るわれわれは、どちらでもよいのなら茂吉、佐太郎に従ふことになる。質問の後の件は「為す」は「サ変」ではなく、サ行の四段活用の動詞だから「為しし」が正則に従つたものである。「しし」が、不自然とは実作者には思へない。(秋葉四郎)


 【その四】 
仮名遣留意事項(「歩道」平成十六年一月号)
○動詞の特殊例はおぼえておくとよい。
 例へば 植う、据う、飢う の三語はワ行に活用する。
 「木を植ゑて腰を据うれば飢ゑおぼゆ」
 さうすれば、越ゆなどヤ行に活用する語と混同しない。
 (越えし歳月悔いつつゐたり)
○よく使ふ言葉の活用もおぼえておくとよい。
 「老ゆ」は終止形がヤ行のユだから「老いて」であり、「老ひて(ハ行)」ではない。名詞に使ふ時は「老でよく送り仮名なし。
 「出づ」はこれを「出ず」と表記すると反対の意味になつてしまふ。
○連体形を終止形に使ふ場合もあるが、よく考へてなるべく終止するとはころは終止形を使ふ。
 「航く船見ゆる」などの場合はたいてい「航く船の見ゆ」と言へばよい。
○「歩道」では名詞には原則として送り仮名をしない。
 例へば、流(流れ) 老(老い) 光(光り)
     曇(曇り) 「夕映(夕映え)
○作歌上使つてはいけない言葉に注意すること。
 
   
  で(「山路で拾ふ」の例・・・語感が悪い)
  を(「を」の一部の「ゆふべを帰る」「昼をともす」の例・・・働きすぎる)
  吾子・小春日・・・俗で手垢がついてゐる
  娘(こ)・・・普通に「むすめ」とよむ
  夫(つま)・・・普通に「をつと」とよむ
  初(× 孫・× 雪・×釜等の例・・・俗)
  乙女(おとめ)・・・をとめ・少女と書く
  めく(「女めく」「艶めく」の例・・・俗