歩道叢書(昭和50年代 その3)

    歩道叢書(昭和五十年代 その三) 

  
伏 流(昭和五十六年)  進藤文夫
トタン屋根に霰うつ音しばしして夜半の虚しき心といはめ
見慣れたるものうき風景のひとつにて石油井緩慢にきしりて動く
乳の香のする幼子を抱きつつ悲しみ和ぎてをりし時のま
じめじめとしたる電車に座りゐて放心のさまは休息のさま
黒々と大き岩群濡るる谷伏流となるべき水たぎりゆく


  
庭 燎(昭和五十六年)  橋本善七
幾万のわれらが持ちし白石のいまや庭燎に煌くらんか
影のごと黒く魚群のくる見えてひらめきざまに向を変へたり
彼岸すぎて沖くもりたる春の海ゆるやかに波のうねりを運ぶ
冬の海に死人ひろひて来し舟を夕翳りはやき岸べに祓ふ
解禁となる崎々の磯祓ふ船の上より米まきながら


  
みづうみ(昭和五十六年)  丹羽蓮
相逢はむ願ひかなはぬ国境の雪原に淡き日の昇りゆく
かけよりて言葉なくをりシベリヤに四年虜囚の夫を迎へて
窓に来て小鳥の声を聞きわけん心はずみは足萎えしより
粉雪に眉毛濡らしし子が冷えし空気を持ちて枕辺に来ぬ
心きほふといふこともなく身を入れてピアノに向ふ夕べはやさし


  
庭 笹(昭和五十六年)  吉野夫久枝
三十年前に教はりし先生が古里の米配給所に座りてゐたり
案じゐし娘は霧の中帰り来ぬ髪濡らし瞳活き活きとして
親と子のながき昼寝のさま見れば現世寂し娘の家に
広き家にわれ一人のみ眠る宵起き出でて夜半に髪梳き始む
子に会はんと一気に飛びし巴里の空今宵満月は中天にあり


  
高架路(昭和五十六年)  室積純夫
草むらが日に萎ゆるみゆ回帰なき時間負ふもの吾のみならず
衛星に近づきてゆく衛星が絶対空間に映し出さるる
勝利者は首にメダルを受けんとす懺のごとくに頭垂れつつ
梅雨ぐもり暮れゆく街のいづこにも灯ともる屋上ビアガーデン見ゆ
天寒き屋上園に葉牡丹の力ある葉に風ひかりゐつ


  
貝殻草(昭和五十六年)  加古敬子
勇猛の気配はみちてわが少女暮れたる部屋に逆立ちをする
わが深き嘆きの底をつくづくと見るごとく居り雨降る夜半に
結球の芯まで凍る白菜を抜くわがめぐり夜の雪明り
物音のなき夕暮とおもふとき子の白粥が噴きこぼれゐる
楢の木の落葉うつくしき小園にしはぶきをして幼子あそぶ


  
海桐花(昭和五十六年)  前田尚久
暮れなづむ庭の海桐花に水打てば暑かりし日の土の香あらし
毛布など吊して区切る講堂に医師なき峡の村人を診る
みづからの声にて語るすべもなく病み臥す友の日は長からん
寝返りの叶はぬからだ支へしが思ひまうけぬ母の体温
トラツクに体よせ合ふ豚のをりひとつが鳴けばこもごもに鳴く


  
断 雲(昭和五十六年)  福田柳太郎
篁のいだく光に竹の葉の散るとき古今未来はるけし
やうやくに風凪ぎゆかん午後三時曇のはての断雲映ゆる
悔恨と羞恥に満ちしわが過去を吾にまつはる幼は知らず
四十歳すぎて愚鈍をなげくのみ夜の驟雨よいさぎよくあれ
耳しひの母なりしかば夢にみる母にも吾は声かくるなし


  
丘 陵(昭和五十六年)  栗原佳志
隣室より灯りもるるを安らぎとして幼子は眠りにつけり
夕映えの道明らかに内職のレース抱きて妻あゆみくる
妻が踏むミシンの音は安息の音と聞きつつひととき眠る
晩夏のひかり眩しく雨後の土に細かき胡麻の花散る
酔醒めてうつつに居りしひとときに沁み入る如き空の夕映


  
鶏頭の花(昭和五十六年)  畑山覃子
のびのびと犬横たはる庭の上日は鶏頭の花にかがやく
おほどかに雪かがやける雪野原青空はるか行く雲軽し
雪晴の光ふくみてトタン屋根をしづかに滑り雪の落ちくる
鍬洗ふ堰のほとりに漂へる韮のかをりにしばらく浸る
東京より山に嫁ぎて八年すぎ鎌を研ぎ得るまでになりたり


  
山 峡(昭和五十七年)  土橋里木
山峡の山ことごとく見えずなり村にひねもす雪降りつづく
一升雀と村人が呼ぶ鳥の群暮るる峡空を渡りゆきたり
隣村と山の境をあらそひし林も今は若葉萌えたり
蹠をみな炉に向けし家族らの寝息聞こえて夜半は寒しも
孫たちが吾を敬ひ倣はんとする様見えて吾はおそるる


  
雪 茜(昭和五十七年)  畑山正人
遠空に雲のひらけば杉森の雪もつ梢夕あかりする
寂しさの極り来れば寂しさに酔ふ如くをりせんすべもなく
妙高の山腹に地吹雪たちながら嶺の凍雪なめらかに映ゆ
泥流のうなりのなかの固き音石と石とのせめぎ合ふ音
螢いか魚津の海にひしめきて星なき夜のうねり明るし


  
万歩計(昭和五十七年)  今村かつ子
亡き夫の万歩計つけてあゆみゆく万歩あるくは容易ならずも
熱きタオルもて顔ふけば心地よしといひし夫の夕べみまかる
夫とわれ心通はぬ今日ひと日人あやしまぬほどにもの言ふ
墓石に酒をそそぎぬ永らへんためにつつしみゐ給ひし酒
亡き夫の知るよしもなく国とほくわれはブロードウエイを歩む


  
随 縁(昭和五十六年)  森田貞子
ごうごうと燃ゆる炎に思ふことかく華やぎて生きてゆきたし
柿若葉ゆふべの風にひるがへる美しき月五月を愛す
暗き道に雲母(きらら)かすかに光りゐるこの空腹(くうふく)に似たる寂しさ
看護婦が今生まれたるわが子見すこの言ひがたき小さきものよ
少年は白粉花を(くち)にあてまつりばやしを吹きつつ帰る


  
杏林集(昭和五十七年)  石田富一
耳遠き患者のそばに通訳のごとき感じに家族つき添ふ
喘息に苦しむ患者冬の日のさしこむ部屋に血の気なく臥す
われの手をわづかに添ふるのみにして座りゐるまで子は育ちたり
丘畑の土に張りたる蜘蛛の巣が氷のごとし霜にひかりて
養魚池の氷とけつつ暖かき冬の日ざしに水濁りをり


  
柿の花(昭和五十七年)  小島正夫
露払ひといふ藁の松明先立てて柩は寺の坂のぼりゆく
泥濘に棺の歩みとまるとき従ふ鉦の音も止みたり
十五年勤めつづけしわが妻の襖のかげに眠れる哀れ
ひと日降る雨に傾く麦の穂は黄ばむ兆しの静かさにあり
椎森の葉群しづかに夕光をうけつつ寒のひと日昏れゆく


  
冬 苺(昭和五十七年)  桑折紀久子
行く春の夕厨に煮る鍋にはまぐり開く音もはかなし
雪踏みて来し支笏湖の岸寂し冬も凍らぬ小波よせて
人よせぬ青の静まり新緑の中にペンケトーパンケトーの湖
しまひ湯に髪洗ひゐる此の夕梅雨のはしりの雨音寂し
季節など関はり無きをあやしまずなりたり冬の苺食べつつ


  
街 川(昭和五十七年)  磯崎良誉
真実をのみ陳ぶるとふ宣誓をまことともなく聞きし四十年
あづかりて金庫に秘むる遺言書おそるる日あり亡骸のごと
二階家の屋根よりうへは四月の空やはらかくして桐の花咲く
花の向きことなるままにふくらみて辛夷の白は日毎にしるし
長かりし夏すぎたりともの音なき朝の法廷にさびしむ吾は


  
断 片(昭和五十八年)  鵜飼康東
発想の飛躍に比して体系のもろきモデルとつねに言はれつ
抑圧にしひたげられし群衆のただ強者のみ撃つにもあらず
指かけてテニスボールの缶を切る風あたたかき楡の木下に
赤と黄のうすき服よりしなやかに吾にむかひてのぶるこの手よ
勝利者として体制をのぼりつつ心なぐさむといふにもあらず


  
海 風(昭和五十八年)  田留貴代子
収穫の終れば即ち海岸のつづきとなりて砂畑白し
潮垂るる若布を背負ひゆく海女ら砂地に沈む如くに歩む
長女の死知らず病み臥す老母の細くなりたる腕を拭きやる
泣く孫を背負ひて道にあやしつつ貧しき吾の過去甦る
たまたまに海面のうへ垂直に立つ鯨あり凄まじきまで


  
花 影(昭和五十七年)  佐藤志満
日課にて夫が散歩に出でてゆく寂しき靴の音を聞きゐつ
螢光灯を換へて明るくなりし部屋ながき気がかりかくたあいなし
こころ安き老などなけん母の苦が実感となりこの頃思ふ
淡き影さくら花さく道にありしばらくこの世楽しといはめ
みづうみに浮く氷塊が目の前にわれて新しき断面の青


  
還 暦(昭和五十七年)  森とみか
火葬炉に伯母焼きてゐるバーナーのひびきに床は振動しをり
しづかなる秋のひかりに紫のらつきょうの花茎高く咲く
近隣に建前ありて槌音にまじり木の香を風運びくる
三世代五夫妻揃ひ屠蘇を酌むわが家に朝の日が暖かし
さまざまの表情をする嬰子の大き瞳に若葉がうつる


  
千駄木(昭和五十八年)  南和男
われの住む千駄木親しどの小路ゆきても坂を登りて帰る
窓白みくる暁にわがかうべ妻が撫でゐる夢より眼覚む
透析に拠りて生きゆく楽しさを味はひながら年暮れむとす
還る日を待つ子と妻は一つ灯の下に夕飯食ひゐるならむ
眉を剃り眉を描けるをとめらの冷たき顔は現代の顔


  
東 雲(昭和五十八年)  鈴木あさ子
暖房の汽車に見て過ぐ冬畑の麦青々と凍りてゐたり
雨雲は茶臼の山に巻きたちて足の下より雨降りはじむ
稲妻の閃光のある西の空今夜郭公は街に来て鳴く
わが家に冬の夕光さし入りて落日までの長きぬくもり
経営の多忙つづきて余念なく生くるくらしにわれは馴れたり


  
羊歯渓(昭和五十八年)  伊藤良
風やめば平衡のかたち整へてしづかなるもの羊歯は生ひたり
渓に隠れ十幾代を住みつぐに女ばかりの位牌を残す
野火のけむり地にたなびきて一帯に白光のなか葬列はゆく
羊歯山の起伏ゆるく連れる紀志国境の峠路にたつ
滝しぶきかかる位置にて岸壁の羊歯は氷柱の中にかがやく


  
(よし)()(がは)(昭和五十八年)  水津正夫
吉賀川を押渡り来し夜の風たちまち庭の落葉吹き上ぐ
運び来し母の棺を置く墓地に栗の落葉は夥しかり
わが前をからだ疲れてあゆむ父をりをり石につまづくあはれ
晩年に心さわがず過ぎし父思ひいでつつ紅梅を接ぐ
帰路に見る夕映は短くて葦の間をゆく水がかがやく


  
天 際(昭和五十八年)  山上次郎
煮凝りの比目魚(ひらめ)を一人食ふ膳は(やも)()長かりし父のまぼろし
颱風のすぎゆく沖にあがりたる竜巻は柱のごとく動かず
天際に触れつつのびし長城を遠く見さけて吾はさびしむ
土ぼこり鎮むるごとく(はだし)にて托鉢の僧列なしてゆく
ビルマより取りこし野辺の草の種わが庭に萌ゆ夢のごとくに


  
待 春(昭和五十七年)  板宮清治
強震のとどろくときに雪原の面村落を乗せつつたわむ
さるすべり咲く残暑の日ばうばうと髪強ばりて午睡より覚む
強風のとどろくゆふべみなぎりて逝く水疾し北上川は
かへりゆく今年の雁のつひの声病みおとろふる母も聞くべし
ことごとく水田となりて水さわぐひと日めまひに似たる寂しさ


  
雪 影(昭和五十八年)  菊沢研一
落葉せし樹々急速に冷えゆかん雨あとの空夕映えしかど
堰堤につづく石原冬の日のはるけきはてに枯萱なびく
北西の風負ふ林出でて来て予感の動くごとし日向は
ゆくりなく出づる泪を許しつつひとりの部屋に膝冷えゐたり
母逝きしのちの寂しさ吾を呼ぶ人の声なきふるさとに覚む


  
青 天(昭和五十八年)  佐保田芳訓
朝明のおもひがけなき寂しさよ重きビル街に風音ひびく
高層のビルに満月近く見えさながら街が青く見えゐる
噴水の輝き浴びて遊び来し幼に檸檬のごとき香のあり
光なき部屋に目覚めて雨音に打たるるごとくわが顔がある
苦しみの夢より覚めてしばらくは暗き鏡のごときこころぞ


  
星 宿(昭和五十八年)  佐藤佐太郎
珈琲を活力としてのむときに寂しく匙の鳴る音を聞く
きはまれる青天はうれひよぶならん出でて歩めば冬の日寂し
ひとところ(じや)(くづれ)(みち)に音のなき祭礼のごと菊の花さく
落月のいまだ落ちざる空のごと静かに人をあらしめたまへ
暗きよりめざめてをれば空わたる鐘の(おと)朝の寒気を救ふ


  
試 歩(昭和五十九年)  翠川良雄
真白なるシーツの上のやせし身をしみじみとして今日も眺めつ
むせぶごと夜霧立ち来て庭樫の上にみ冬の月は動かず
豚肉を十匁ばかり持ち来しと妹の言へばただありがたし
隣室より妻の寝息のかすかにてこの安らぎは幾年ぶりぞ
中空に動かずなりし雲ありて春の疾風はゆふべ寒しも


  
古利根(昭和五十九年)  石井伊三郎
古利根と元荒川が流れ合ふ川面は寂し夕波たちて
人間のごとき鼾を時に立て老いし家猫ひすがらねむる
責を負ふ仕事少なき再びの職場に勤め老いゆくわれか
はかどらぬモールス通信の夢覚めてセブ島の街を暫し憶ひき
兵の日を夢のごとくに思ふ夜半暑き厨にこほろぎが鳴く


  
夕 霧(昭和五十九年)  中島良子
海の上にたつ霧ありて夕ぐれの浜辺明るし雨降りながら
硫黄山のめぐりの砂礫荒々し白樺林遠く光りて
夕ぐれの遠き川面に霧こめて教会の塔雲にしづもる
氷河湖に深く沈める倒木の累々として日の光寂し
健やかなりし日の姑しのび柿の実と金柑の実を棺に納む


  
輪転機の音(昭和五十九年)  石川栄一郎
二人にて遊びゐし孫一人殖え声騒がしきわが家の前
身に染みる油の匂ただよはせ挨拶にきぬコロツケ屋の娘
真夜覚めて寝つかれぬままもの思ふ大方は過ぎし戦中のこと
亡き父の用ひし黒檀のこの机六十年の光沢をもつ
戦場にわがをりしかば妻逝きしこと知らざりき悔いまだあり


  
潮 光(昭和五十九年)  小久保勝治
沈みたる船の油の漂へる爪木の沖に弔笛ならす
迫りたる暗き雲より垂直に海のもなかにたつ雨柱
島の道に葬ひの列つづきゆく習はしわびし銭まきながら
友と吾と石をになひて神島の宮の石坂五たびのぼる
わたつみの底ひに一日沈みゐし子の掌を組みて自我偈を唱ふ


  
樹 冠(昭和五十九年)  青田伸夫
四階の窓辺にしげる松の木の樹冠さかんに新芽を吹けり
イカロスの堕ちたる跡の青ふかき太虚に似たる海を想はん
爆風の抜けし窓々虚ろにてビルヂング前行人のなし
かかる日の家居も楽し南窓北窓なべてふゆぞらの青
古書店にわがありしとき奥の間に一家族しづかに晩餐終る


  
石 崖(昭和五十九年)  赤城猪太郎
蠟の火の終らんとしておのづから吾の読経の早くなりゆく

あかつきに鳴く鶏の声近し聞きて覚めしか覚めて聞きしか
七十二年のいのちさだかに生きのびて眼鏡の上にわが眉白し
一本の幹より出でて藤の花棚のかたちに紫を垂る
煉獄を出でて天涯にあそぶとふ大き生命を長くおもはん


  
紅 塵(昭和五十九年)  窪愛子
追憶の影と思ひて藁塚の影を見て立つわれは老いつつ
舅と共に夜あり昼あり九十二の齢の重み時に思ひて
紅塵の立ちて忽ち視界なきアルゼンチンの広き道ゆく
馬の背に買物を乗せゆく人のあり子らの住む高原の街
教会の鐘鳴りわたりミサにゆく幼らはすでにこの国のもの


  
夕 茜(昭和五十六年)  各務由紀
壁の中に鼠音してテレビなどの声なき夜半はさながらに過去
父死にて用なき如く生きる母用なきゆゑの平安あはれ
森遠く見えつつ部落遠からん畑野に小さき教会ひとつ
荒き野の起伏のなかアーモンドの林がありて青さやさやし
間もあらず芽ぶかん柳やはらかに枝ひるがへる伊水の岸べ


  
峽 田(昭和五十六年)  塙千里
夜の更の月のあかりに顔のなかばみえて附添の妻はねむれる
畑なかにわが家あれば此の日頃畑掘る耕転機の音の中に病む
新冬の晴れて人なき砂浜の遠き渚は湖もやよどむ
木々の間におぼろに合歓の花みえて夕べつゆけき峡田の昏るる
はまごうの手ぐさの花の香にたちて暑さなごみし砂浜かへる


 
 木斛の花(昭和五十七年)  小鹿野富士雄
夜半過ぎて蝕終りゆく月かげが黄なる茗荷の株をてらしぬ
わが死後のごとく寂かにもちの樹の深き葉群を冬日が照らす
ひとりなれば黙して畑を耕しをり退職してわが知れる安らぎ
夜もすがら蚕座が匂ふ部屋に寝て貧を悲しみし少年も老ゆ
亡き母の飢ゑて置きたる韮萌えて今朝の庭の面靄あたたかし


  
洋 光(昭和五十九年)  渡辺謙
降る雨に木膚ゆるみてかかる夜に緑つややけき芽は萌ゆるらん
爆風はこの十字路を走りしか思はぬ方の窓が割れゐる
谿川を清く流るるこの水のごとく晩年をあらしめたまへ
エレベーターの前に腰かけ見舞客を待ちゐるといふ妹あはれ
森燃ゆる焔のなかに黒く顕つ樹々あり思ふ間なく火を吐く


  
海の音(昭和五十九年)  中村とき
海凪ぎて出航を待つ漁船より祈祷を終へし神官降り来
浜ひるがほ咲ける渚の白砂に濃霧のなかの海の音聞く
今着きし漁船のありて雨の夜の海にかがよふ船灯まぶし
寄浜と呼びゐる浜に昆布寄ると台風明けを人ら出でゆく
せきれいの飛ぶ磯の道台風の潮にやけたる虎杖にほふ