〔歩道賞 一覧(S36~H14) 作品 S36~49 S50~59 S60~63 H元~14年 (H15以降) 

 平成三十年度 歩道賞受賞作    


   残 生        小堀 高秀

一日に十三錠の薬飲み生の緒つなぎ三年(みとせ)超え来ぬ
腎臓の厳しき食事療法に耐へつつ一日一日わが生く
十日余り意識あらねば我の死を妻は覚悟し葬り準備す
嘘のごと高熱今朝は退きゆきて諸鳥(もろどり)のこゑ生き生き聞こゆ
かにかくに死線を二度も超え未しは為すべきことの未だ残りゐん
また一人黄泉路に友を見送りて夕風寒き枯野を帰る
篁を洩るる日差しの春めきて救ひのごとく臥所に届く
吹く風の未だ寒きに病む我を励ますごとく日に日に芽吹く
競ふごと日々芽吹きゆく木の下に春待つ思ひ年々深し
里山の若葉昨日より輝くを見つつし唯に我は癒えたき
病み篤き我を看取りて五十年着飾ることなく妻も老いたり
暖かき日和となれば妻と野に母の好みし蓬を摘まん
ひと息に若葉萌え出で赤城嶺と浅間嶺の雪淡くなり来つ
病むわれを励ます如く今朝もまた郭公のこゑ杜より聞こゆ
退院の叶へど癒ゆる当てのなき我が身さびしみ桜を仰ぐ
病める身に為すこともなく歌のみを支へに今日も一日を送る
歌一首やうやく成りし安らぎに午前零時の(ともし)()を消す
籠もれるを気遣ひくるる仲間より東京歌会の誘ひ届けり
物忘れ多くなりしを寂しめど未だ歌詠めるを救ひとなさん
明日あるを疑ふことなく生き来しも健やかなりし過去のまぼろし
溢れ咲く桜並木を妻とゆく癒えざる身をば暫し忘れて
望みなき身も世も明日は闇なれど桜の下に暫し憩はん
幸せに縁なき(ひと)()と嘆くまじ我に歌あり妻も子もあり
妻と子と三入揃ひ夕餉するこの安らぎも幾年ぶりぞ
わが血をば承けしや娘は書棚より『一握の砂』選びてゆけり
終焉のための整理を妻言へど歌書はなかなか捨てられずをり
間なくして散りゆく定めを知るごとく(しだ)れ桜は咲きて極まる
とめどなく花散る桜の下陰に散華せし文恋ひやまなくに
我に死は近づきゐんか亡き母と夢に会ふこと多くなりたり
一日を一年のごと惜しみつつ病む残生をひたすら生くる


歩道賞準賞


   清 明        佐保田 芳訓

今日われは四十五年の勤め終へ思ひゐしより感慨のなし
七年の単身赴任の終ふることそれを何よりよろこぶ妻か
目覚むるはすなはち生きてあることぞ抗癌剤打つ日々を送りて
澄み透る青一色の冬の朝ビル街の空病室に覚む
朝明の高層ビル群上空を鴉群れ飛ぶ日にひるがへり
暁の病室に覚め見ゆるものひとつの星に何祈らんか
夕映ゆる空間近しと思ほゆるビル高層の病室にゐて
椰子の木の石柱のごと並びたつ台湾大学に鷗外偲ぶ
晴天の雲の断片茜して流れゆく見ゆ病室のそら
生と死の境にあらんみづからは今日の点滴五本終へたる
発熱の日々茫々と過ぎたるか無菌室にて半月あまり
小学生の日々に通ひし通学路杉田玄白の墓の懐し
懐しき思ひの湧くは何ならん金木犀の咲く頃となる
帰らざる時とし思ふ早春の佐保川のほとり共に歩みき
霧雨にけぶる海橋()の点り東京港ゆく雲とめどなし
午後五時に打つ鐘ひびく青松寺ビル(あひ)にありてひびきの長し
病むわれの半年あまり妻と子と離れ暮すと思ひ見ざりし


歩道賞候補作  ※作者五十音順


   わが生        青木 伊都子

十二人に一人乳癌になるといふその一人あはれこの我なりき
パソコンに我の病を調ぶれば情報あふれ心乱るる
憂ひなどなかりしごとく振舞ひて家に戻れば心疲るる
母乳のみに娘育てしかの日々を思ひ出づれば乳房いとほし
他の臓器へ移転のなくて帰る道梅の白花(ひと)()あかるし
心臓の患ひあれば万一をいくばく案ず全身麻酔に
わが心もて余しつつ病室に色変はりゆく夕映眺む
娘との術後ひと月のモロツコ行病みし体と心養ふ
見はるかす遮るものなき砂漠には砂と空とに満つる静けさ
旅なれば娘のほかにわが病知る人のなき安けさにをり


   復 興        大貫 孝子

震災後牡鹿半島に鹿のふえ墓地の花々喰ひつくすとぞ
引き潮の渚に寄する白波の静かに消えてさびしさの満つ
震災後ひと時絶えし臨海の火力発電所煙いきほふ
肺癌になりし弟切実にして女川に家建てるとふ
阿武隈の山並みの上昇る日は術後まどろむ弟つつむ
幸福論語り親しくなりし友津波に逝きてただに虚しき
嵩上げの地に雑草の丈低く鳴く虫の声かすかに聞こゆ
復興の見慣れぬ街に一夜明け出でゆく庭の霜のまばゆし
冬の日の父母の墓のべ常のごと花の凍りて墓石光る
ふるさとの家再建の代替地やうやく決まる六年の経て


   うつしみ       折居 路子

命終を自ら桜咲く頃とカルテを見つつ夫言ひにき
明け近く夜行バスにて帰り来し子を見し夫頷きて逝く
亡き夫の飲みのこしたる錠剤を捨つる厨に昼の月見ゆ
婚礼の写真に映る人なべてこの世に在らずわが夫もまた
そばだてる己の心鎮めんと母に習ひし小鼓を打つ
うつつなきわが逡巡を断つごとく雷が轟く夫の忌今日は
樟脳の香の残りゐる母の帯締めて子の待つ教会にゆく
亡き夫と永久を誓ひし教会に三十年経て子が式を挙ぐ
子守唄忘れし夫がイエスタデイ歌ひあやしき子が父となる
冬日差す窓辺に夫の写真置き修士を終へし二男を迎ふ


   スーパームーン    樫井 礼子

あかつきの空に金星光るころ犀川のうへ霧濃くわたる
立ち上がるまでに数分老母の動作をとなりの部屋に見守る
デイサービスの準備に疲れ隣室に老をかなしむ母の声する
冬囲ひ済みたるわが庭氷点下の夜半にスーパームーンが照らす
よそよそしく白き光を放ちゐるスーパームーンの照る雪嶺は
有明のスーパームーンの高く見え常念岳に朝の日およぶ
わが庭の林檎の実を喰ふひよどりに寒きこのごろつぐみも混じる
わが庭に積もれる雪のくらくなりスーパームーンの蝕すすみくる
月蝕の移りゐるなか雪原を横切りてゆく狐の影見ゆ
四時間の月蝕過ぎて常念の白き雪嶺冴えてあらはる


   ラバウル       鈴木 ひろ子

ラバウルに終戦迎へし祖父逝きて三十五年の夏にわが訪ふ
わが祖父の乗る岩手丸沈みたるラバウル湾に青き波たつ
岩山を掘りし格納庫にのこる上陸用舟艇につばめ飛び交ふ
空爆の合間に水を汲みしとぞ壕より離れ石の井戸のこる
丘の上の偵察のための小さき穴出づれば見ゆる弓なりの浜
潜水艦基地の遺構のめぐりにて子ども等遊ぶ魚を焼きて
道のべに大きなるバナナ育ちゐて風に揺れつつ艶やかに照る
ラバウルの丘の上なる慰霊碑に日ざしの強く雷鳴ひびく
二年間補給とだえしラバウルに十万人の日本人ゐしとぞ
地下壕の上に積もれる灰に生ふブーゲンビリアくれなゐ深し


   献体         皆川幸子

半年に病院いくつ巡りしか多系統萎縮症と夫の告げらる
延命の措置ことごとく望まぬと緊急カードに夫は署名す
デイサービスの行事に夫参加して桜の香りまとひ帰り来
息子らと夫の介護を語るべし主治医の助言尊むわれは
すでに死を思ふらし夫息子らに携へゆけと訥とつと言ふ
施設入居決めし夫は思ほえぬ痰に苦しみからだおとろふ
退院に備へて言語聴覚士理学療法士夫をはげます
みづからの剃刀息子持参してその父の髭病床に剃る
発病し二年か夫つひに逝く待ちわびし子に安らぎしごと
岩木嶺の雪解け進み花萌えん献体の夫母校へ帰る


   壮年の記       本吉得子

ひ弱なる夫の母を家に置き勤めに出ざりき壮年われは
十年ほど服を仕立てし貯へを学費に納めき迷ふことなく
自転車にて朝朝のぼるキヤンパスの坂きつかりきわが膝病めば
病む母と子の事あれど週末は英語教へき家計の足しに
学ぶために遠く来たりしアングイン歩む道の辺ロベリアの咲く
寮の部屋の埃かすかに白く浮く床に荷を解く蜂鳥の声
乾きたるカリフオルニアの風音に遠き日本の故郷恋ふる
教授よりミセスと呼ばれはじめての朝の授業に口重くをり
口早の講義に疲れてどもりつつ英語に答ふる自ら哀れ
夜遅く舎監に頼み電話しき夫と子らの声の聞きたく


   選考経過       秋葉 四郎

 今年の歩道賞の応募は三十四編で昨年よりわずかながら増えている。うれしい事であった。昨年同様力作が目立ったのは、永年「歩道」で修練している人が進んで応募しているからで、望ましい事であり、選考委員も力を入れて選考にあたった。
 応募作の名前を伏せた作品を選考委員の、香川哲三、波克彦、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採った作品を候補作として、今年は九人が該当した。しかも選考委員三人が選んでいる作品が四編あって、昨年同様作品のレベルが拮抗し慎重な審査が要求された。去る八月二十七日、発行所に三人がそろい、秋葉四郎を選考委員長として選考を進めた。
 三人が採っている候補作のすべてを改めて検討し、特に各選者が一番に推す作品を十分に吟味した結果、佐保田芳訓氏の「清明」と小堀高秀氏の「残生」が最終候補となった。どちらも人の生に真正面から対峙し、その生に抒情詩短歌が「詩の必要」を満たすものとして働いているように思える。詠うことにより、生きる力を得ているということである。
 とにかくそうした詠風である。佐保田作品は都市景観を点景にして巧みで新鮮なところがあり、小堀作品は闘病の重さにもかかわるか、切実な響きが一連に響いている。そうした検討を深めている中で、佐保田作品に既発表作品五首(「歩道」八月号)が混じっていることが問題となり、「未発表」三十首の原則から、今回は小堀氏の「残生」に贈ることにした。
 小堀高秀作品の「残生」一連は、食事制限など厳しい腎臓の闘病生活を中心に重厚な詠い方であり、一首一首が強く響くと共に一連三十首から訴えて来るもの・テーマがあるのが特に優れている。年々応募され、候補作品に取り上げられていることも十分考慮された。
 佐保田作品は、残念なミスがあったが、入院加療中ということも配慮し、内容のすぐれている点等を認め、失格とはせず、「歩道賞準賞」として、作品を尊重することにした。
 樫井さん、大貫さんは既受賞者だが、力作を応募され、歩道賞のレベルを高くしてくれている。深く敬意を表する。
 候補作を御覧になると今回の歩道賞応募作品の水準の高さが納得されることと思う。一年に一回、三十首の連作に挑戦する意欲は多くの会員に持ってほしいところである。(秋葉四郎)

   選考を終えて        波 克彦

 今年の応募者の作品から言えることは、やはり短歌が生活に深く入り込んでいて生きる支えになっているということである。
 歩道賞のように三十首が応募作となる賞においては三十首を全体として纏った詠嘆として提示することが必要である。単に事件的な特殊性を全面に出すだけでは真に深く人の心を引き付ける作品群とはならない。三十三名の応募作の中で三人の選考委員の全員が候補作として選んだ四名の作品はいずれも深く生活に根差して対象を凝視して成った作品が多く、それゆえに三十首として読者に訴える力がある。
 歩道賞が一年に一度の募集であるからといってただ漫然と一年間作った作品から応募のために三十首を選び出すということでは纏まりのある応募作品群にはなりにくい。三十首がいわば連作として纏まりのある応募作品を構成するためには、テーマを幾つか定め、一年間意識してそれぞれのテーマについて少なくとも四十首以上の作品を作った後に応募作三十首を選び出すといったやり方で纏まりのある応募作品群をつくるのも一つの方法であろう。来年の応募に向けて皆さんの発奮を期待したい。

   歩道賞の選考に当たって   香川 哲三

 前年に較べても、今年も力作が揃い内容が大変充実していた。闘病、半生、日常、羈旅、職務など境涯を反映した主題設定に加え、どの一連にも作歌に対する一人一人の熱意が感じられ、改めて「歩道」という結社の底力を感じたのであった。中には、この作者でしか成しえないだろうと思われる作品もあり注意を引いた。一年を単位に準備をして、来年も積極的に応募して欲しいと思う。


   受賞のことば       小堀 高秀

 私が「歩道」に入会して十年。この九月に喜寿を迎えた節目の年に、念願の「歩道賞」の栄に浴することができ、感無量です。思えば中学時代に作歌を始め、高校時代に「短歌文学」に入会し作歌に励んで来ましたが、平成十年に通巻六百号を以て終刊となった為、「青南」「まひる野」を経て漸く「歩道」に辿りつくことが出来ました。
 茂吉の『赤光』『白き山』を愛読していた私は、佐太郎の『帰潮』『星宿』に深い感動を覚え、「短歌は抒情詩であり、抒情詩は端的にいえば詩である」という「純粋短歌論」が「歩道」入会の引き金となりました。
 「歩道」入会後は月々の東京歌会に休まず通い、アラスカ、アイスランドの海外吟行にも参加し、そこで多くの同志にめぐり会い、研鑽を積むことが出来ました。
 この度の受賞作「残生」は二年余の入院を経て、癒ゆる当てのない日々の生活の中で感じる様々の感慨を詠んだものです。これからも一日三首の作歌を目標に、残り少ない人生を悔いを残さぬよう、日々精進する覚悟です。「歩道短歌会」で共に学ぶ仲間達や、ご指導に与る先輩諸氏、選考委員の皆様に心よりお礼を申し上げます。ありがとう御座居ました。

   略 歴

昭和十六年九月生(群馬県)
昭和三十三年四月 『短歌文学』入会
平成十二年七月 歌集『父果てし島』刊行
平成二十年九月 歩道短歌会入会
平成二十一年七月 歌集『父の形見』刊行

★は候補作