作品 S36〜49 S50〜59 S60〜63 H元〜14年 (H15以降)


平成二十三年歩道賞                  



   ☆ 津       波      中 村  と き





   ☆ ダイヤモンドダスト      樫 井  礼 子







  津 波                 中村とき


大津波火事と地震に怯えつつ寒き一夜の明くるをただ待つ
ぬばたまの夜空に赤き火事の炎いかなる明日になりてあらんや
逃げよ逃げよただ只管に登りたり津波来しとふ声に押されて
瓦礫の中人通るほどにあけし道倒れし電柱またぎて歩む
わが思考持たざるままに導かれヘリに乗らんと運ばれてゆく
眼下に流れし浜が見ゆるらん見る気力なくヘリに乗りゐき
避難より伴はれ来し遠き街ひ孫のピアノ置く部屋に寝る
半島の付根の浜に両側の湾より津波せめぎ寄せたり
防潮堤壊れしところ渚より海水入り来道をふさぎて
ことごとく瓦礫となりしわが浜に春雪の降る視界なきまで
窓破れ屋上に物の上りたるわが家の無惨こゑあげて泣く
施設にて海に立つ虹美しといひゐし姉よ津波にて不明
一息に死にしやもだえ逝きたるか津波に不明の姉と甥とは
高台まで襲ひし津波の水のみて泳ぎし人等恐怖を語る
長く生きてこの世の地獄見しわれの早く逝きたる友らを思ふ
新聞の紙面埋めて亡き人の名を連ねゐる津波後ひと月
地震直前投函したるわが歌稿その一首だに記憶にあらず
手にとれど心うつろに読めざりき津波後着きし四月号歩道
津波にて校舎使へぬ小学生青少年の家にて学ぶ
津波後の瓦礫のおかに営巣の海猫の群なみだぐましも
がれきのみ眺めゐしわれ出でて来し町は初夏なり柿の葉の照る
梢高く魚網浮玉からみゐる切岸の槻青葉となりぬ
ひたすらに逃げて見ざりし巨大津波二箇月余経て映像に見る
再びはここに住むことなからんと流れし家の跡にわが立つ
わが家が最後の区長務めたる「田ノ浜四班」永久に消えたり
「風はかく清くも吹くか」師の歌を思ひっつ立つ瓦礫の浜に
津波より三か月過ぎ姉と甥不明のままに死者となりたり
風の日も雨の日もありき炊出しの熱きを食ひてわれ涙せり
運命に従ひ生きんと日を重ね津波後 三月みつき梅雨 に入りたり
送られし菓子の空き箱文箱とし津波見舞の礼状を書く





  ダイヤモンドダスト           樫井礼子


朝霧のはるるきざしか立冬のしろき日見えてめぐり輝く
犀川にたつ朝霧のとほく見え三年目の冬やうやく迎ふ
常念岳に雪煙たちその影の及ぶ北面おぼろに青し
雲のごとたつ雪煙いただきを越えてみじかく晴天に消ゆ
おしなべて広く雪雲沈むとき北アルプスのいちにち終る
流れつつ晴るる朝霧と思ふ間にダイヤモンドダスト突然に降る
ダイヤモンドダスト方向の定まらずせはしく光るわが家のめぐり
去りたると思へば風に乗りてまた細氷の群つよく輝く
乱れつつ吹き上げてくる細氷が開けし窓より部屋に入りくる
ダイヤモンドダスト吹きゐる畑に出で手に触るるとき針のごとしも
ダイヤモンドダスト去りたるわが畑に低くたちたる蒸気しづけし
暖まりゆく北アルプスその前に湧く雲のあり雪より暗く
久々に晴れて積む雪ひかる野辺川のほとりに冬の蚊群るる
青白き月光わたる窓外に凍みてゐるらん雪畑ひろし
睡眠剤のみゐし母がたちまちに寝息をたつる寒き夜更けに
雪嶺の白馬三山しろうまさんざんかうかうと昼の日返し青天しらむ
白鳥の低く飛びたち犀川に白き反映まぶしく揺るる
降りたちし白鳥かたみに鳴き交はす冷めやらぬごと羽広げつつ
照り陰りする山のまへ揺れて飛ぶ白鳥の群をりをり光る
ひもすがら風つよく吹き家の内焚きゐる薪の匂ひ充ちゐる
春一番の風収まりて常念の麓いづこも土手焼くけむり
早春の北アルプスの暮れてゆく光と影と融くるごとくに
東の赤き残照とほのくは北アルプスの山影およぶ
震災の情報あふるる日々にして現実逃避を勧むる記事あり
疾風吹く乗鞍岳に雲の影なだれの如く雪嶺くだる
常念に沈む春の日頂をよこぎりてまたひかり洩れ出づ
盛り上がるごとくに姫川流れくる五月の桜ちりゐるほとり
まな下の村いつにても音あはし長峰山に晩春の風
山麓の森に充ちゐる春蝉のこゑをりをりに消長のあり
             (「蝉」は原作では正字)
長雨の止みたる安曇野高空を占めて日暈彩雲にちうん   まぶし









歩道賞候補作(氏名五十音順)




  三月の空                門祐子
東北のなまりの強きことば聞くことなくなりぬ伯父逝きたまひ
くれなゐの皆既月蝕仰ぎつつ昨夜逝きしとふ伯父思ひをり
冬の田に落穂を拾ふ雁あまた見えをり夕べ嵐のやめば
僻地医療と短歌に一世捧げ来し伯父の柩に置かれし『地表』
八十歳になりたる父が声をしぼり離婚したしとわれに訴ふ
五十年の夫婦の暮し顧みて今更何故と父がつぶやく
調停を申し込み来し老父は抜殻のごと日々すごしゐる
いくたびもつづく余震ぞ仰ぎみる三月の空寂しく晴れて
節電にひつそりとせる街並を照らして今宵月の明るし
義弟の所属する隊が亡骸を探す映像夫と見つむ





  病 間                 角田悦子


わが名告げ手術受くると室に入りしことをおぼろに思ひ出でたり
手術後の膝の痛みに耐へんとし幾たび寝返り夜の明けゆく
空調のかすかなる音病室にひびきてわれの睡りさいなむ
七階の窓よりあかず見てをりぬ樹の間を走る遠足の子ら
雨に濡れ見舞来し孫の躰ふく手の不自由を嘆く祖母われ
かくまでも弱りし夫か携帯に写る姿に涙あふるる
朝々に見るわが顔の生え際はいつか赤さび色になりゐつ
七階の病室より見え透明なるビルの壁面エレベ―タ―動く
まぶしかるまでビルに差す夕日去りくれなゐ淡き空ひろびろし
六週間ぶりにわが部屋戸をくれば夏の光が一気に溢る





  津 波                 草葉玲子


仙台の映れば避難の人混みに連絡とれぬ姪らを探す
一歳より注射に命をつなぐ姪薬を持ちて避難せしとぞ
津波去りただ暗き陸ひとところ鮮烈にして油燃えつぐ
客船が民家の屋根の上に見ゆ津波の力ありありとして
累々とつづく瓦礫のあきらけし沿岸いたましく朝の日がさす
やうやくに電気灯りて避難所より姪帰るとぞ五日を過ぎて
自衛隊の夫支へていつしかに強くなりたる姪とぞ思ふ
東北は雪になるとぞ見上げたる空清きまで星々ひかる
黙々と瓦礫持ち上げ人さがすその背中にも雪降りしきる
丘の上のそら夕やけて鎮魂の思ひしきりにわが胸に満つ





  仰臥一年                石井清恵


残年を仰臥にすごす足萎えも命のあれば今を嘆かず
顧みる事のみ多し日伸びせし空は昨日につづく夕映
父逝きて二十三年命日は足萎えしわれ手を合はすのみ
夜の雨に水明りする道見えて来るべき明日をわれは待つのみ
ゆくりなき出逢ひの如く梅雨の夕遠ひぐらしをなつかしく聞く
渚路に自生の浜木綿群落も絶えて吹きくる砂風あらし
かなかなの短き声が夕闇にまぎれて病棟忽ち静か
八十六歳やうやく得たる安らぎと仰臥一年思ふこの頃
群礁をめぐりて騒ぐ波の音夜ふけて聞けば空にこだます
炎天の余熱こもれる月の夜に蝉一斉に庭の木に鳴く
           (「蝉」は原作では正字)





  宿酔                  角田三苗


わが癌に放射線当てゐる十数分眼を閉ぢて過ぎし日々おもふ
骨量の減りかつ太るを戒めて合羽着てわが雨に散歩す
前立腺癌に侵されゐるわれのうちなる苦悩わが妻知らず
新薬に変りて試されゐるごとき思ひの吾になきにしもあらず
薬の香と汗の香まじり異様なる臭ひするわが体を厭ふ
裸なるわれの周囲をおもむろに回る放射線の機器ものものし
放射線の照射を終へて降りるとき体二三歩前によろめく
放射線の照射に通ふ序でにて院内の歯科に虫歯治療す
体内に放射線たまりゆく後半予期せぬ排泄の痛苦にあへぐ
再発をすればその時はその時にて差当り癌よりわが生還す





  東日本大震災              渡辺謙


沖辺より段なす津波忌はしき光かかげて迫りくる見ゆ
チェ―ンなどみな断ち切られ船といふ ち合へり港のなかに
防潮堤越えし津波は土煙先立てながら街さかのぼる
退く潮に流されゆける家見ればわが さいなまれゐる思ひあり
大津波   く退きゆきて自動車も家屋も海に浮かびひしめく
前照灯点けたるままに流れゆく自動車のあり何か寂しく
大津波退きゆきしあと屋上に船底赤き船よこたはる
枕木をつけたるレ―ル垂れさがりさながら人の苦しむに似る
住民に避難呼びかけゐし入らその一団も波に呑まれき
五百体千体といふ単位にて遺体あがりぬ昨日も今日も





  ◇◇選考経過◇◇          秋葉四郎
 今年の歩道賞の応募は、四十七編であった。応募作の名前を伏せた作品を選考委員の、四元仰、青田伸夫、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採った作品を候補作とし、今年は八人が該当した。この八作品を、さる八月二十七日、歩道発行所に於いて、秋葉四郎を選考委員長として選考に当たった。
 全候補作をすべて読みなおし、吟味した結果、三人が採った中村ときさんの「津波」及び樫井礼子さんの「ダイヤモンドダスト」それぞれ三十首に今年度の歩道賞を贈ることにした。
 中村ときさんの「津波」三十首は、去る三月十一日の大震災をもろに受け、家屋は壊滅、姉と甥とが行方不明のままという現実に、作歌をもって対峙した作品で、涙と共に厳粛な気持ちで読むことになった。選考委員三人とも全く同意見にて決定したのである。他に誇るべき受賞作品である。
  一息に死にしやもだえゆきたるか津波に不明の姉と甥とは
など選考にあたっていることを忘れて一首の前に長く佇むことになった。全作品の表現が完璧とは言えないところもあるが、そういう瑕瑾を超えて、歩道賞にふさわしい作品である。
 今回の震災体験をテ―マにした作品は相当数あった。候補になった渡辺謙さんの作品も、こういう角度から迫ることもできることを示す力作であった。表現力も優れているが、やはり直接体験をしている作品の方に迫力があった。
 こうした災害体験とは違って、自然の厳粛と向き合った作品として樫井礼子さんの「ダイヤモンドダスト」も大変な力作で、「歩道」らしい作品である。おそらく生活圏にあるダイヤモンドダストという現象を短歌にしたのは樫井さんが初めてであり、その先取権も評価されるべきで、選考委員三人が熟慮の結果、二作品に歩道賞を贈ることになったのである。
 二作品とも「歩道賞」の歴史の中でも誇るべきものである。
 今回の応募作は全体に高レベルで、選考しつつ嬉しく感じた。石井清恵さんの作品など、厳しい境涯に在ってこれだけ自在な作品ができるのはさすがで、「歩道」で長く鍛えた人の底力のようなものを感じさせた。





  ◇◇受賞の言葉◇◇          中村とき


 この度は歩道賞のお知らせを頂き、思いがけないことに驚いております。避難して五か月住んだ家に行き、仮設住宅に帰った夕方、届いておりました封書に「この私が、本当に」と只思うばかりでした。
 佐藤佐太郎先生のご指導を頂きたくお手紙を差上げ、私は入会させていただきました。その時の嬉しさ、初めてまみえました時の感激は今も鮮やかに心に浮かびます。この度の喜びも佐藤先生、志満先生のおかげと御恩を偲び心から感謝申し上げます。
 「津波」は私の生涯で三度目の津波を詠んだものですが、高齢でもあり応募もためらった末に致しました。住んでいた浜は壊滅し津波は高台まで襲いました。衝撃は強く私に記憶をも忘れさせる程でした。
 今後は志満先生をお手本に身近なものに心を寄せながら作歌して参りたいと思います。有難うございました。


  中村とき略歴
大正九年      岩手県生まれ
昭和四十五年二月  歩道入会
昭和五十九年    歌集『海の音』刊行
平成二十一年    歌集『船の音』刊行

住 所       岩手県下閉伊郡山田町







  ◇◇受賞の言葉◇◇          樫井礼子


 このたび憧れの歩道賞をいただきまして感無量でございます。平成十一年に初めて歩道賞に応募致しましたが、平成十九年度に退職しましてからは、毎年の挑戦となりました。いつも歩道賞を意識してよりよい歌を作りたいとの思いと共に移住先の安曇野にて暮らして参りました。この気持ちが作歌への意欲を支えてくれましたし、物事の真髄や機微を捉え深く観入ができない現状から脱出しようという姿勢も持たせてくれたように思います。題材は常にこの信州の山であり川など身近な自然で毎年代わり映えのしないものでありましたが、厳しく惨い自然災害を受けた今年にこのような誇らしい賞を頂けまして深い感慨を抱いております。今後も一層精進いたしたいと存じます。
 審査員の皆様方に心より感謝申し上げ、今後の「歩道」がますます発展されますことをお祈りし受賞の言葉と致します。


  樫井礼子略歴
昭和三十年     長野県生まれ
昭和五十四年一月  歩道入会
平成五年      短歌現代新入賞
平成七年      歌集『川風』刊行
平成十一年     現代歌人協会会員
平成二十三年    日本歌人クラブ会員
住 所       長野県安曇野市



平成二十三年歩道賞投票結果〕


★:歩道賞候補作品
氏  名 四元 青田 秋葉 備考
 門祐子 三月の空 -
鈴木ひろ子 職退く - - -
角田悦子 病 間 -
渡辺謙 東日本大震災
辻田悦子 イラク追想 - - -
古賀雅 鈴の音 - - -
田村守 震 災 - - -
樫井礼子 ダイヤモンドダスト
山下和子 庭の柿の木 - - -
浦靖子 惨禍の春  - - -
池野國子  冬 日 - - -
中村とき  津 波
角田三苗 宿 酔 -
宮川勝子 命見つめて - - -
前田留里 梅 雨 - - -
草葉玲子 津 波 -
石井清恵 仰臥一年 -
大友圓吉 瓦礫の下に - - -
福谷美那子 瘡 痕 - - -
一覧(S36〜H14) 〔歩道賞 〔 年度賞 〕 (S36〜57)
平成23年歩道賞投票結果