『月下』のこと 加古 敬子
『月下』は、杉山太郎氏の第五歌集であり、平成七年(七十三歳)から平成十三年(七十九歳)までの作品が収められている。以前に『杉山太郎全歌集』について書いたので、ここで又『月下』を書くことをためらう気持があったが、現在の私と年齢が近くその老境の作品を見事と思うので、敢えてもう一度じっくり読みたいと思ったのである。
「後記」より。「書名『月下』は茂吉の最終歌集が『つきかげ』であり先師最後の歌集が『黄月』であるから、いはばその月光を仰ぎみる思ひで書名とした」。いかに斎藤茂吉、佐藤佐太郎両先生を仰ぎつつゆるぎない歩みを続けてこられたか、この一文がすっきりとその事を表している。又、「弱体思ひがけぬ永生きをした。幼少からの孤独性と厭世的傾向を持つ私がこのやうに永く生かされて来たのは、つきつめて言へば作歌のおかげである」。
年経たり
灯をともし又灯を消してうづくまる衰老夜半
の空しき時間
平成七年七十三歳「新年」五首から引いた。『月下』一巻は、純粋な魂と高い詩精神をもって詠まれた作品群である。
夢の歌も深い。
夢に読む娘の手紙いつよりかわれの思考とな
りてめざむる (74歳)
年老いて得し知恵もなく
とり怒れる (75歳)
痛む背に手を置きくれし人のあり夢ゆゑ誰と
いふこともなく (76歳)
衰老のあはれといはん具体なく懐しさのみ残
る夜の夢 (78歳)
夢の歌にも年齢の推移がうかがわれる。私はもうこの年齢を過ぎているが三首目、四首目のような歌を未だ詠むことは出来ない。老境という無限の世界に温かくも吸い込まれていく思いで読む。
老境とは平安の境地であろうか。
燃ゆる火の
われを
人の世を再度生きたるごとき過去その転生も
終末近し (75歳)
老鈍のこころみだれて愚か愚かすでに世にな
き人をも厭ふ (76歳)
その声に虚飾なければナルシスト友の自賛も
あるとき楽し (79歳)
老いには老いの葛藤、慚愧、悲哀があり、その真実が直接端的に表現されていて、何度読んでも新鮮である。二首目は、婚姻解消、再婚、そして職業の転換という過去を知る時、一層深く味わうことが出来る。四首目を読むと何かほっとする。心のゆとりであろうか。「ナルシスト」の語も一首のなかで巧く働いている。
ひとしきり稜線の紺見えながら富士全山に雪
けむりたつ (76歳)
したたかに降りし雪止み人の音全く絶えてい
ま日がのぼる (同)
おもむろに夕かげりゆく富士山の嶺氷片の如
くかがよふ (同)
杉山さんは神奈川県平塚市内を幾度か居を移されたが、最後の家辺りから富士山が見えたのではないか。ここに力のこもった客観写生の歌が表れる。第一歌集『石浜』の作品を思い起す若々しい歌である。
立上りざまに畳に転びしとはかなきことを人
につたふる (76歳)
老醜を人見るなかれ街角の樟に身を寄せ息し
づめゐつ (77歳)
骨肉のえにしに遠き老ひとり卯月八日の野を
行きもどる (78歳)
苦行者のごとき肢体はわが裸身鏡の前に立ち
ておどろく (79歳)
真実を捉える目は容赦なく老の無残を伝えるが、すべて作品として昇華され読む者の心にのこるのは詩である。
杉山さんは昭和四十七年に貞子夫人と再婚され平穏な暮らしが続いたようだ。二十年程のちの妻の歌
二日経て思ひ出したる故人の名妻に伝へてし
ばらく易し (78歳)
いづこにて終るも定めかく言ひて汝と連立つ
ときの安けさ (79歳)
止むを得ず又家を移らねばならなくなり「宿運として諦めん老二人言葉つたなく貸家をさがす」(76歳)。そして平塚市内花水川のほとり最後の住居に落ち着かれた。
わが終の住家とならんこの川のほとりさやか
に合歓の花咲く (76歳)
沈丁の香をともなひて路地をゆく愛染とほき
老のやすけさ (同)
まぎれなき老残となり土手下の片屋わびしき
家を出で入る (同)
二首目は私の最も愛誦する作品である。「愛染」杉山さんならばこそ使いこなせた言葉ではないか。この語によって一首に仄かなはなやぎがもたらされ、その御生涯を納得するのである。