『冬薔薇』のこと    加古 敬子


  『冬薔薇』は、小林慶子(よしこ)氏の第二歌集であり、昭和三十二年から三十八年までの作品四百七十七首が収められている。
 私は『小林慶子全歌集』に依って『冬薔薇』を読んでいる。全歌集の「小林慶子略歴」に依れば、小林さんの生年は明治四十二年、佐藤佐太郎先生と同じである。東京に生まれ、旧姓大岡氏。学習院幼稚園、学習院初等科、中等科を経て女子学習院国文科に学び、昭和四年卒業の年に実業家小林中氏と結婚、二男二女を得られた。
 学習院在学中に尾上柴舟の講義を聞いたのが短歌の道への出発であり、終戦の後いろいろな歌集を読む中で斎藤茂吉の『赤光』に深い感慨をおぼえられた。そして昭和二十五年から佐藤佐太郎先生について短歌の勉強をするようになり、数名の友人と共にひと月に二回教えを受けられた。ひと月に二回ということは、先生の青山の御自宅へ伺われたのではないかと思われる。昭和二十五年といえば、まだ日本の国は敗戦の後の混乱と貧困から立ち直ることが出来ず、大方の国民は衣食住にも事欠く状況であった。時に佐藤先生、小林さん共に四十一歳である。この年に先生は、昭和二十二年から二十五年までの作品をまとめて第五歌集『帰潮』を出版された。又このころ「純粋短歌論」を「歩道」に連続執筆されていた。『帰潮』の後記に「私は観念的、模型的操作によらずして、体験に即して真実を表白しようとし、期せずして戦後の生活を『貧困』に縮図したのであつた」と述べられている。この時期の先生に(まみ)え、親しく教えを受けられた小林さんの幸福を思うが、又、小林さんの炯眼を尊敬するのである。実生活に直接には益をもたらさない短歌を、熱意をもって教える方、教えを受ける方々を、空襲に依る焼跡が処々方々に残る風景の中に置いて想像する時、この上なく尊く懐かしい気持になる。その流れの末端に今、私の在ることがありがたい。
  葉の落ちて静かになりし木の梢ふく夕風に音
  のきこゆる            昭32
  その夫に似たるその子を抱きつつ静子来りぬ
  けふの昼すぎ           昭32
  昼すぎの暑きくもりにわが庭の椎にひととき
  鴉来てをり            昭36
  朝夕は寒くなりたり庭土にさきて明るしくれ
  なゐのばら            昭36
 小林さんの作品といえば、心のてりかげりを繊細に把え、例えば、ゆく雲のおとす影のようなはかないものをも確かな言葉によって表現された歌にまず感銘するのであるが、ここに挙げたつつましい清楚な客観写生の作品にも亦心惹かれる。
  相向ひこだはり持てどおのづから習性は(ことば)
  さしからしむ           昭32
  些細なるひとつの不安きのふよりけふに続け
  ばこころ(すさ)べる          昭32
  重量のごとき感じを折々のうちの心にもちつ
  つ苦し              昭32
 三首共に小林さん四十八歳の作である。人生の一つの転換期と言えるかもしれない。円熟、又不安定、様々の要素をもちつつ深く鋭く心の内を把えている。更に年齢を重ねて、      
  ひややけき土踏みながら対象のなき哀憐のこ
  ころきざしつ           昭35
  従順はすなはち善にあらざらん内にこもらふ
  心おろかし            昭36
  談笑のかたちといへど結論をうちの心にかた
  みに思ふ             昭38
  たとふれば心の中にかうむれる塵ともおもへ
  今日の怒は            昭38
 小林さんは昭和二十五年頃、基督教の洗礼を受けられた。今なおゆれ動く信仰の心を率直に表白された作にいい歌がある。
  安らはぬ心のまにま礼拝のさだまる席にわれ
  は居りたり            昭36
  夜更けて啼く犬の声いつしかに遠くなりたり
  神も祈も             昭38
 『冬薔薇』には又外国の旅の大作がある。「アメリカの旅」が百十二首、その他「アラスカの旅」「香港の旅」がある。先生は序文でこの大作のことを「確実で自在で実に堂々としたものである。」と賞めておられる。
  東洋雑貨売る店のありここにして見る日本(につぽん)
  足袋のちひさし  
 サンフランシスコ 昭33
  蒼白の氷河かたむくところみゆたもつ無数の
  (ひだ)さへ見ゆる   
アラスカ(一)  昭34
  広窓は常に輝くごとからん礼拝堂に雪の峯み
  ゆ        
アラスカ(三)  昭34
 巻末近い昭和三十八年に「東京老人ホーム」の作品があり、私は軽い驚きを覚えた。この時代にもう老人ホームがあったのかと。調べたところ、現在西東京市にある「東京老人ホーム」がそうではないか。このホームは日本福音ルーテル教会が関東大震災救護事業として大正十二年に創業し、昭和二十七年に社会法人東京老人ホーム設立の認可を受けている。
  ひとの世の終にちかき(おきな)(おうな)ひそやかにして
  ここに住みをり       
東京老人ホーム
  正常の意識にあらぬ君の顔すがすがとしてあ
  はれうつくし
  年齢のけぢめもみえず同一に老いてあはれな
  り媼らちひさし
 まだ一般的ではなかった老人ホームに人生の終りの時を生きる人たちを、五十四歳の小林さんはこのように把えられた。是でもなく非でもなく、あるがままを見る眼差が清らかでかぎりなく優しい。集中私の最も感動した作品である。