今月の歌論・随感  【最新版】 【2003(平成15)年~2019(平成31)年一覧



  二〇二〇(令和二)年二月号    


   思いつくまま          長田 邦雄


 佐藤佐太郎先生は昭和六十二年八月八日にその生涯を終えられた。十日に志満先生をはじめご家族の皆様と許された少数の会員が出席して斎場において荼毘に付された。はげしく暑い日であった。
 あの日から三十余年が経った。現在は先生にお会いすることなく、声咳に接することなく「歩道」に勉強の場を求めた会員が多くなった。先生の追求された作歌の奥義を「歩道」の全会員がそれぞれの力量に応じて実践をしている。
 さて、私が会員になった五十年以上前は先生とお会いする機会が多くあった。月一回の面会日、月一回の歌会、年一回の全国大会、年一回の年末歌会などである。
 当時はまた、秋葉四郎氏を中心に佐保田芳訓氏、故室積純夫氏などと多くの若い会員が「青の会」というグループを作って先生の勉強会を行なった。先生も私達の活動を喜んで下さった。そしてその折々に先生を囲んで楽しい時間を過ごした。私達のように先生と密接な時間を持てない現在の会員は寂しい思いをしているにちがいない。もちろん、先生が残された歌集や著書が手許にはある。これらからは先生の声が語りかけてくれるように聞こえてくる。そこで私は思う。
 先生みずからの作品の朗読、講演会の講演、歌会の作品批評、もっとプライベートに食事会の雑談等など先生の声は残っていないだろうか。もし、それらを保存できればより身近に先生を感じられるはずだ。
 同じように先生の真影は多くの会員がそれぞれのカメラに収めているだろう。旅先や海外旅行での写真、全国大会のスナップ、歌碑除幕式の様子などたくさんあるだろう。
 「斎藤茂吉」の写真集を私は持っている。「佐藤佐太郎文学アルバム」という写真集があれば、先生の姿も身近になる。もちろん、動画もあれば貴重だ。先生の姿と音声とまとめることが出来れば、先生の作品をより厚く深く理解出来る。個人的には先生の写真集を「撫づるごとくに」手に取りたいと思っている。






  二〇二〇(令和二)年二月号    


   讃嘆の声            佐保田芳訓


 佐藤佐太郎の作歌信条は、写生を根本とした「純粋短歌」である。佐太郎は十代で短歌を作り始めているが、初期の頃より詩を希求している。短歌一首において何が必要で何がいらないか自覚して作歌していたのである。十代の頃の詩人山村暮鳥との出合は佐太郎短歌の原点であると私は思っている。「真実であれ。真実であることを何よりもまづ求めろ。」暮鳥の詩集にある言葉である。「実相に観入して直観される『真実』は、一つの感情価値である。それは実在をゆがみ無く観得たときに感ずる意識の充足である。」佐太郎の純粋短歌にある一節である。初期の頃より暮鳥のごとく真実を求め続けたのであった。
  暮方にわが歩み来しかたはらは押し合ひざま
  に蓮しげりたり
 佐太郎の歌集『歩道』にある一首である。平成三十年十二月、コレクション日本歌人選として『佐藤佐太郎』が出版された。著者は大辻隆弘氏で、佐太郎の五十首余りの歌を評論している。その中に取り上げられた歌である。
 「仕事からの帰り道、私は池ぞいの道を歩く。池から生えた蓮の茎と葉が闇のなかで押し合うように揺れ合っている。その生々とした気配が私を不安にする。」大辻氏の解釈である。最後の不安にするの部分は、はたしてそうだろうか、佐太郎は蓮がこれ以上はびこる余地がないほど茂っている事に感動したのである。この一首の蓮の表現について、佐太郎は自註で志賀直哉の小説に同じ描写があるとあった。
 「遠い百姓家に咲いてゐる凌霄花が雲を洩れてさす陽を受け、遠いのに度強く眼に映つた。小さな貯水池に密生した菱の葉がそれ以上はびこる余地がない為めに他の葉を水面から押上げてゐるのを見た。」志賀直哉の小説『菰野』の一文である。佐太郎と志賀直哉の視点が同じなのが面白い。コレクション日本歌人選の中で大辻氏は佐太郎の歌を評して、憂鬱・不安・疲労などと佐太郎の短歌のいくつかを、その心情を指摘しているが、佐太郎自身そんな思いを抱いて短歌は作っていない。
 「私は何時ごろからか歌は『讃嘆』の声であるだろうと思つた」と『しろたへ』後記で言っている。短歌において真実を希求し、ゆきつく所は讃嘆である。






  二〇二〇(令和二)年一月号    


   推 敲             波 克彦


 一首を作ったその日に推敲することは勿論であるが、翌日や数日経って再びその歌を読んでみて、更に充実させることができないかと思考を廻らすことによりその一首をより高めることができる。
 『短歌清話』(秋葉四郎氏著)には随所に佐太郎先生の作歌の推敲過程が記録されている。次に一例を短歌清話の記述に従い紹介する。

  海のべの風はやくして晴れながら雨降ること
  のあり熊野路は
  熊野路の海のほとりは(に)晴れながらしぶ
  きの如く雨の降りくる
  風はやき熊野の海のしぶきかと思ふ晴れつつ
  雨ふる時に
  海に立つしぶきの如く晴れながら雨降ること
  のあり熊野路は
  はや風に海のしぶきに似る雨のふることのあ
  り熊野路にして
  熊野路の海のほとりは晴れながらふる雨風に
  とぶ飛沫あり
  熊野路の海のほとりは晴れながら雨ふる雲の
  わたることあり
  海のべの木草かがやき晴れながら雨ふること
  のあり熊野路は

 通信には更に次の言葉が続く。「歌ができて私は思った。『どう考へても原案以上にはならない』(メモ)として投げてしまはなかったから、この改作が出来たのである。ぎりぎりまで努力しなければならないのだ。どう考へても満足できなかったのは、大切なものが言へてゐないのだが、それが何であるか、わからなかった。見ることは作歌の時にもつづく」。
 以上は短歌清話からの引用である。先生の歌は一字一句が徹底した推敲の上に選ばれている。なぜその字その句が用いられているかを深く考えて鑑賞することが重要である。この一首が完成するまでの推敲の変遷をつぶさに見て、一宇一句が推敲により更に輝く一首に変っていくことを読み取ることができるかどうかは読み手の力量にかかっている。そして自分ならその状況にあればそのように作れるかを考えてみることが大切である。そのように考えを廻らすことにより、一首に込められた本質がわかり、自分の作歌能力が高まる。