二〇二〇(令和ニ)年「歩道」二月号    


   人麿のGestalt(ゲシュタルト)         佐々木比佐子



 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を、秋の京都国立博物館に拝見した。現存する三十六歌仙絵の中でも最古の、且つ極めて美しいとされる「佐竹本三十六歌仙絵」は、大正八年(一九一九)以降おのおの断簡となっているが、それらが百年を経て会することでも話題の展覧会であった。
 歌仙絵に、工夫を凝らして表現される歌人の姿は、絵師の想像によるものである。唯、柿本人麿の姿には、元となる図像があった。十一世紀初めの藤原兼房の視夢による像で、雪のように梅の花びらが散るなか紙と筆を手にして坐り、ものを案ずる老人の姿である。「佐竹本三十六歌仙絵」の人麿も、その図像に准じている。
 ところで、茂吉先生の「柿本人麿私見覺書『人麿立傅の諸態度』」には、次のように記される。
 併し、人麿は、續日本紀に一記載も無いほどの低き身分の者であり、傅記も不明で、辛うじて眞淵が萬葉考別記に書いたほどのものを以て、満足せねばならぬほどのものである。それであるから、私等は、人麿を傅するにいろいろの態度を可能としつつも、所詮、人麿の作歌に直面することとならねばならぬ。そして人麿の歌の語々句々から、放射してくる一種の『勢』に同化しつつ、彷彿として其處に直に人麿の形態(Gestalt(ゲシュタルト))を畫くこととならねばならぬ。永く永く偶像化せられた『歌聖』の名が、ここに再び復活するのである。
 右の文章を受けて、「柿本人麿雑纂『人麿の肖像〔八〕根岸短歌會考案像』」文末に書かれているところの、茂吉先生が書く人麿像は興味深い。
 そこで若し愚案によって人麿を想像するなら、持統十年ごろ人麿三十三四歳の間のものを想像し、清痩といふよりも稍強く肥つてゐるやうにし、黒い髭髯があつて、さう長くはしない。…(中略)…脊は相當に高い方がよく、立像にすべきである。
 以下衣冠について等の詳しい考証が続くのであるが、茂吉先生による人麿の形態(Gestalt(ゲシュタルト))は、老人の姿ではない。人麿作歌の理解、享受の仕方が、王朝和歌の時代とは異なるからである。兼房の視夢による像は、『古今和歌集』収載の「ある人のいはく、かきのもとの人まろがうたなり」と左註に記す伝承の歌「梅花の歌」(334)「明石の歌」(409)、及びそれにまつわる和歌上達祈願から生じたもので、茂吉先生の構想する人麿像は、雄渾な挽歌をはじめとする萬葉集収載の人麿作品に直接感受された像である。二〇二〇年に於ても、『歌聖』の新しい姿と言える。




   二〇二〇(令和ニ)年「歩道」一月号    


   『日本書紀』千三百年         佐々木比佐子



 令和二年(二〇二〇年)は、『日本書紀』全三十巻の完成から、丁度千三百年を迎える年となる。天武天皇が六八一年に、川嶋皇子・忍壁皇子らに「帝紀及び上古の諸事を記し定める」ことをお命じになられて『日本書記』の編纂は開始されたと云う。それから三九年後の七二〇年に至って、『日本書記』は元正天皇に舎人親王より奏上された。
 『日本書記』が書き綴られたとされるこの長い期間には、大変興味深い文化の転換期が含まれている。暦は劉宋の元嘉暦から、唐の儀鳳暦に替っているが、これは文武朝の大宝律令の制定・施行と関わっている。そしてこの時「日本」という国号と、制度として明文化された元号(大宝)も定められた。
 令和元年のこの十月、和漢比較文学会の第三八回大会が上智大学で開催されたが、優れた幾つかの研究発表が心に残った。その中の一つに、葛西太一氏の「日本書記における語りの一方法―由来を示す「縁也」の表現形式をめぐって―」があげられる。発表のレジュメから、大いに興味を引くまとめの箇所を抜き出してみよう。


○日本書紀において事物起源を語る「~縁也。」の表現形式は、漢訳仏典の知識を受容し、由来譚を説話的に締め括る常套表現として新しく案出されたものと考えられる。
○(漢訳仏典には)特に「來生之縁」「堅劫之縁」のように現世・後世という時間の結び付きを示す例があることにも留意しておきたい。
○漢籍に「縁也」の用例を求めた場合、多くは「ふち」「かざり」の意を示すもので あり、古辞書にも同様の字義が確認される。


 漢訳仏典における「縁」は、もともと釈迦の前生の物語である本生譚を言い、「縁起」もその意味であるという。「現世・後世という時間の結び付き」という意味は漢訳仏典にみられるもので、漢籍における「縁也」には「時間の結び付き」の意識は無かったものらしい。右に示した「縁也」における漢訳仏典の知識の受容は、先に述べた唐の儀鳳暦に暦を替えた文武朝に始まる。「比較的新しい語りの表現形式ではないか」と、レジュメにはまとめられている。そして、この時期の新しい意味の受容は、現代にまで繋がっている。『佐藤佐太郎全歌集各句索引』を参考にすれば、仏典由来の意味の「縁(えにし)」で歌われた佐太郎先生の作品は五首ほどであろうか。中に師茂吉の逝去を詠んだ連作七首のうちの一首がある(『地表』昭和二十八年)。
  ありがたきえにしによりて現身の君の言葉を
  いくつ聞きけん