二〇二〇(令和ニ)年「歩道」一月号    


   『日本書紀』千三百年         佐々木比佐子



 令和二年(二〇二〇年)は、『日本書紀』全三十巻の完成から、丁度千三百年を迎える年となる。天武天皇が六八一年に、川嶋皇子・忍壁皇子らに「帝紀及び上古の諸事を記し定める」ことをお命じになられて『日本書記』の編纂は開始されたと云う。それから三九年後の七二〇年に至って、『日本書記』は元正天皇に舎人親王より奏上された。
 『日本書記』が書き綴られたとされるこの長い期間には、大変興味深い文化の転換期が含まれている。暦は劉宋の元嘉暦から、唐の儀鳳暦に替っているが、これは文武朝の大宝律令の制定・施行と関わっている。そしてこの時「日本」という国号と、制度として明文化された元号(大宝)も定められた。
 令和元年のこの十月、和漢比較文学会の第三八回大会が上智大学で開催されたが、優れた幾つかの研究発表が心に残った。その中の一つに、葛西太一氏の「日本書記における語りの一方法―由来を示す「縁也」の表現形式をめぐって―」があげられる。発表のレジュメから、大いに興味を引くまとめの箇所を抜き出してみよう。


○日本書紀において事物起源を語る「~縁也。」の表現形式は、漢訳仏典の知識を受容し、由来譚を説話的に締め括る常套表現として新しく案出されたものと考えられる。
○(漢訳仏典には)特に「來生之縁」「堅劫之縁」のように現世・後世という時間の結び付きを示す例があることにも留意しておきたい。
○漢籍に「縁也」の用例を求めた場合、多くは「ふち」「かざり」の意を示すもので あり、古辞書にも同様の字義が確認される。


 漢訳仏典における「縁」は、もともと釈迦の前生の物語である本生譚を言い、「縁起」もその意味であるという。「現世・後世という時間の結び付き」という意味は漢訳仏典にみられるもので、漢籍における「縁也」には「時間の結び付き」の意識は無かったものらしい。右に示した「縁也」における漢訳仏典の知識の受容は、先に述べた唐の儀鳳暦に暦を替えた文武朝に始まる。「比較的新しい語りの表現形式ではないか」と、レジュメにはまとめられている。そして、この時期の新しい意味の受容は、現代にまで繋がっている。『佐藤佐太郎全歌集各句索引』を参考にすれば、仏典由来の意味の「縁(えにし)」で歌われた佐太郎先生の作品は五首ほどであろうか。中に師茂吉の逝去を詠んだ連作七首のうちの一首がある(『地表』昭和二十八年)。
  ありがたきえにしによりて現身の君の言葉を
  いくつ聞きけん