今月の特選



   二〇二二(令和四)年五月号     


   戦後から      大野 悦子

父母の後ろにわれらが正座して玉音放送聞きたる八月
等分に羊羹切りゆく母囲む幼きわれらの戦後の姿
詩が良しと長崎の鐘子供らに教へし父を偲ぶ命日
新しき苗字の判を夫より貰ひ半世紀余実印となす
買ひ与へわが駅までに半分を読み切る孫を喜びし義父
銃声のとどろきしのち猟師四人山より鹿を重く運び来
わが庭の古木の柊棘消えて丸葉となりて冬日を返す
残されて広き旧家の部屋めぐりひとり小声に豆まきをする
火の始末忘れ物などわが失敗未然に防ぎて子らには言はず
前方に両毛三山の残雪が光りて芽吹きの山並みつづく
アクリル板はさみて姉と面会すあふるる話も時間に限らる
ワクチンの接種終はれば残生の夢はふたたびわが胸にわく



   ダムの村        高橋とき子


遠く来し佐藤佐太郎企画展生涯のうたこころに刻む
亡き夫かつて語りし先生の扇子のうたをしみじみと読む
闇ふかき青田に光る二つ三つ蛍と知りてをさな声あぐ
コロナ禍の休校なれど児童らの花壇にいまし盛るひまはり
寵もりゐてたまたま観たる西部劇思ほえずわが心ときめく
かすかなる風にしたがふ人参の葉を間引きつつにほひをまとふ
のらくろの原画に往時よみがへる戦時下兄の読みくれしもの
削られて米粒ほどのわが犬歯舌を当つるは慰撫にも似たり
ボレーミスー球にして負けし試合はるかなる日の記憶の宝
政争の焦点なりしダム建設三十年経て竣工ちかし
サツカー場十六個分とふこのダムの工事にかくも活気づく村
稼動する重機の音にしばしばも涼しくひびく春蟬のこゑ


   
二〇二二(令和四)年四
月号     


  
 家 居         戸田 佳子

坂道に色づく柿の実仰ぎつつ昨日の悔がよみがへりくる
コロナ禍に心張りなく部屋ごもる雨ふればその音を聞きつつ
わづらはしき北風やみて夕空に茜の雲がいくつもうかぶ
たちまちに若葉しげりて濃き影をしく花すぎし庭の辛夷は
今年はや半年すぎんおろそかに家居つづけて生日近し
たたきつける雷雨たちまちやみたればゆふべの庭にみんみん蟬なく
暑き日の暮れて十三夜の月あふぐ風なき空に光さやけし
猛暑の日つづきて庭の百日紅きのふも今日も晴ればれとさく
激しかる雷雨に朝空暗くなりわが家の前の街灯ともる
しろたへの木槿さきつぐ残暑にて今年も母の忌日近づく
父母の逝き二十年この日頃幼き日々をしきりに思ふ
八月よりあざやかにさく赤き薔薇次々開きわれは楽しむ


  
 焦 り       大友 圓吉 

足弱くなり行く不安に覚めをれば遠雷光り間を置き響む
実を付けし大葉を扱けばその匂指に残りて夕べ芳し
木蓮の枝切り終へて立ち見れば瘤立つ幹の上星光淡し
高枝を四五本切りしのみなるに四肢の痛みぬ去年には無きに
病むこともなくて朝なさな小一時間歩めることをひとり喜ぶ
鮭跳ねる姿彫りたる状差しは何時の旅のか朧となりぬ
残る時短き故の焦りかも居たたまれなくて部屋行き来する
老いてより交はり薄きわれなれば行く友もなく来る友もなし
師の色紙何処に深く仕舞ひしか折々探すも見つけ出だせず
肌寒く止むとも知らぬ雨降りて来る人もなく孟蘭盆過ぎゆく
かほどまで蟻踏み潰し極楽に行けなかろうよ蟻と言へども
ささやかに正月用意整へて妻と語らひ除夜の鐘待つ


   
二〇二二(令和四)年三月号     


   
雨 音       星野 彰

接種終へ待機のテントに黙しをり屋根打つ雨の音のひびきて
日の暮れてふたたび降りくる雨音の昼の雨よりさびしく聞こゆ
いまさらに父晩年の思ひこそ知りたしわれは父の歳過ぎ
みづからの内にをりふし兆し来る愁ひは人に言ふべくもなし
ことごとく花みな散りし川の辺の葉桜ひかるしづかなるとき
くれなづむ五月の窓に椋鳥の声が響けばにはかに暗し
春の風人なきホームに吹き過ぎて離れ行く電車の音ぞさびしき
噴水のまた吹き上るをしほどきに花なき夏の薔薇苑を出づ
十月の木漏れ日きよき園林のとほくにひびく寒蝉のこゑ
地下化され聞こゆるはずなき音を聞く半睡にして終電の音
花水木の花の終りし隣家はひと日しづけし主婦の病みゐて
古稀すぎてわれの内なるひ弱さを思ひ知りたり滅入るこの夜


  
柿若葉       戸田 民子

元日に詣づる人のまばらなる社にまつりばやしのひびく
洗足の池にし群るるゆりかもめ一羽のとべばみな後を追ふ
部屋深くさす春の日はやはらかし写経しをれば睡くなりたり
あるなしの風に若葉のゆれやまず浄真寺なる参道ゆけば
あふれ咲く庭の水仙供へたる仏間にこもるかをりゆたけし
梅雨の雨降るに勢ふ柿若葉つかれしわれの心なぐさむ
濡れ縁に庭のうれ柿描きゐし夫を偲びつつ迎へ火を焚く
あまたなる銀杏の実の色づきて朝日に映ゆる参道をゆく
幾万のすすき穂風にゆれやまず丘のなだりを娘とゆけば
すみわたる秋空高し境内に人の影なく法師蝉鳴く
防護服まとひてひすがら迅速に看護つづくる入らたふとし
ステイホーム続けど家事のはかどらず庭の雑草日々に勢ふ


 
  二〇二二(令和四)年二月号     


   
街路樹      杉本 康夫

この日頃妻の衰へまのあたり見てをりしかば言葉つつしむ
年々の申告終へて帰り来し家に一人の刻をゆかしむ
溝川に沿ひて生ひたる菜の花の黄の群落はひときはまぶし
老いたれば何かにつけて怠惰なる日々を送りし己を疎む
酒を断ちはや半年か思ほえば幾ばくかわれ軀の軽し
秋めきし日差しと思ふ街路樹の欅の影が歩道に長し
日々歩く道に欅の落葉踏むころとなりたり一年はやし
収穫を終へたる畑のさく切れば鍬の先にて小石のあたる
秋づきし光のなかに山茶花の花咲き出でて特に輝く
遠花火かすかに聞こえ曇日のけふ鮎釣りの解禁日らし
休耕の田に繁りたる雑草のなかより維の声が響けり
コロナ禍の集会なれば保つべき距離を意識し椅子並べゆく



   花 嫁      細貝 恵子

亡き母の作りくれたるわが着物はれのよき日に娘が着をり
婚約をしたる娘の細き指透きとほり光る指輪の似合ふ
潮干きしさんごの海の水底に春の日そそぎめかぶの揺るる
をりをりの波に離れて相寄れる烏賊のつがひを海にみまもる
晴れわたる岬にとほく見る森に雲を支へて雨柱たつ
純白の花嫁衣装の子の姿生れし日のたち思ひこみ上ぐ
幼きよりあまたの笑みをくれし子がほほ笑みて去る嫁ぐもとへと
続きたる猛暑の庭を打つ雷雨よろこぶごとく木草のうごく
盆すぎて御霊のかへりあふぐ空人日にかなとこ雲のかがやく
子規を偲び道後をゆけばあまた生るへちまに秋の日差こぼるる
杉山の連なる里のもみぢ日にひととき燃えてはやも日暮るる
休息に飲みたる紅茶低酸素の冷えゆく体うるほしめぐる



   玉虫色の鱗    鈴木 桂子

魚捌く甥らの靴にはりつきて玉虫色の鱗の光る
合併にて父の里の名失せしかど実り豊けき田畑変はらず
屈まりて萩の回遊行く孫らに花の散りくる光こぼれて
友の家に組まれし足場渡りゆく鳶職の影夕日に浮かぶ
杭のごと沼に佇む五位鷺のくはへし魚の一瞬光る
紅葉せる桂の落葉朝の雨にしるく香の立ち歩みの弾む
里山の林を抜け出で見る沼に鴨のひく水脈長く真白し
椋鳥の群れは風強き街を飛び橋くぐるあり橋越ゆるあり
おもむろに霧の消えゆく海渚浜菊の花の香の中歩む
防風林は視野を限りておのおのに巻きゐる蔦の紅葉冴ゆる
側溝に散り積もる落葉両の手に掬へばかすかにぬくもり伝ふ
片扉く穂芒の続くかたはらを蔵王仰ぎつつ墓参に向かふ



   奉書紙      鈴木 憲治

半年ほど乾燥させし桜材反りを直して木取りしなほす
御頭だけは木目が真つ直ぐ通るやうに位置を選びて観音木取る
雑音をさけて夜中に観音の顔を仕上ぐる障るものなく
二年越しの観音菩薩仕上がるも今しばらくは傍らに置く
仏師として仏刻みて五十年今年はじめて個展を開く
亡き夫の面影欲しと頼まれぬ守り本尊大日如来
亡き人に似せて刻むも仏にはほとけの顔のありて悩みぬ
仕上がりし大日如来像納めんと高島暦に良き日をさがす
弥陀仏の顔を鏡に映しみてかほの傾きたしかめ仕上ぐ
手暗がりにならぬやうにと座るむき僅かに変へる日射しにあはせ
日々わづか遅れる時計もわがリズム弥陀仏の顔ゆつくり刻む
大晦日は奉書紙敷ける道具箱に鏡餅かざる感謝を込めて



 
  二〇二二(令和四)年一月号     



  
学位記       坂本 信子

服薬の減りしかすかなるよろこびに通院長き夫に付添ふ
残年をわれに頼りて生くる夫企業の戦士たりし日々あり
十五年通ふ病院にかつてなき緊張ただよひ人ら声なし
コロナウイルス身近に迫り早々と投薬のみに病院を出づ
稲熟るる棚田に残る夕光のさびしさ義兄の通夜に行く道
紅葉の前のしづけさ高千穂の山々夕日に神さびて見ゆ
不自由なる身にて就職活動をする孫いまだ内定ならず
瀬に並ぶ白鷺深みに潜る鵜らひたすらにして落鮎漁る
やうやくに寒気やはらぐ街川のうへに乱れて岩燕とぶ
車椅子の膝に学位記ささへ持つ孫よ辛苦の年月耐へて
健常のクラスメートと学びたる内なる孤独を孫のいま言ふ
幼子が重き障害負ふさだめ思ひて眠れぬ日々を過ごしき


  
ひぐらし      佐々木 勉

弟を看取ると病院へけふもゆく生きて逢へるはあと幾日か
弟の逝きて初七日わがあゆむ渚草むらに浜茄子熟るる
ひぐらじの遠く聞こゆる夕暮れにひとり飯食ふ弟逝きて
こころ病む苦悩つづりし弟の遺品の日記見つつ涙す
手をやすめしばしばものを想ふなど弟の遺品の整理すすまず
初馬を西の方角に向き変へて新盆最後の夕暮れ寂か
波荒らぶ新盆明けの朝の海西方浄土へ手を合はすなり
むし暑き初秋の空にほのじろく浮かぶ孤独の昼の月あり
老い独り酒酌みをれば親しけれ畳にこほろぎ一つ鳴きそむ
悔い多き記憶のみ顕つ寂しさや七十九歳を省りみたれば
家族にておせち料理を楽しみし思ひ出はるか今独り老ゆ
歌詠めば老いの心のかく癒えて吹雪ける夜を眠らんとする


  
職退きて      田丸 英敏

朝焼けの六月の空思ひ出づ父を看取りし日のはるかにて
母親に叱られて来し少年と夏の緑地を自転車に駆く
夏ふけて足袋の小鉤をかくるとき七十五歳のおのれ励ます
手縫ひよりはじめて久し幾万の畳縫ひしか世業を退く
畳積みていかはどの距離走りしかトラツク五台乗り換へて来つ
われと共に年重ねたる製畳機修理部品の今は無しとふ
仕事との係はる人を削除していよいよ携帯鳴ることもなし
多摩川に沿ひしこの道なし畑も梨売る小屋も少なくなりぬ
祭札の中止となりしこの年も社のめぐり葛の花咲く
いくたびも魚のごとくに屋上に出でてあぎとふ籠れる日々は
みづからの影を先立て歩きしが蛇崩の道日の暮れ早し
ワクチンの副反応のなきことは喜ふべきか老いたるゆゑか


  
平 穏       村上 時子

城堀に渡り来し鴨らコロナ禍を知らず平穏に水浴びてゐる
池の辺に紅葉かがやく桜の木背もたれをしてしばらく憩ふ
一片の雲なき夜空に満月が高く孤独に輝きてをり
屠殺する牛の歩みの進まぬを憐れみをりし獣医の父は
軍用犬に召集されて明日は征く犬に焼肉食べさせし日よ
妹とわれの手を引き健やかに散歩をしたる父懐しむ
珈琲の香に包まれて出来るまで待つ間のたのし子と共に居て
志満先生のどうでもよけれといふ言葉何度もわれを慰めくるる
悲しみの和らぐならば酒のみて思ひきり心のうちを述べたし
島丘の墓参に来れば一面の蜜柑の花の香に包まるる
早春の日ざし輝くしまなみの海道ゆきて憂さを忘るる
こもり居のわれに歩道誌今日届き春日の部屋に楽しみて読む